ようやく静かになったリビングでぺたりと腰を下ろす。危うく凶器になるところだったはさみを眺めてため息をついた。こんなはずじゃなかったのに。冷えた頭はすっかり怒りを溶かしてしまった。広々とした家にはわたしひとり。元親は出て行った、いや、わたしが追い出してしまった。

「ふん、身から出た錆よ」

相手の居ない文句はなんと虚しいものか。それでもやっぱり許す気にはなれず、はさみを床に叩き付けた。そうよ、清々するわ。あんな下半身の緩い男、その辺の女子高生に騙されて財布でも奪われればいいのよ。

「……ご飯つくろ…」

時計を見て、もうこんな時間かと驚く。こうしていつまでもやつの不平ばかり述べていても仕方ない。気分でも落ち着けて、明日からのことを考えていこう。買ってきたものを冷蔵庫に選別して、包丁を手に取る。浮かんでは消えていく元親の顔に、やっぱり全女性のためにも去勢してやればよかったという思いを込めて魚を裁いてやった。

そうして出来た二人分の魚料理を机に並べてからハッと気づく。いけない、いつもの癖で元親の分まで作ってしまった。食材が勿体無いじゃないの。自分のうかつさにも苛々しながら席に着く。

「人が、せっかく、お腹すかせているだろうと思って…」

元親の好きな魚料理を買い、急いで帰ったのだ。それだというのに当の本人は帰って見れば他の女と勤しんでいる最中ときた、やりきれない。わたしがこれだけあいつのために動いているのに、元親はわたしのことを考えてくれていないようで、それがとても悲しくて。
ぽたぽたと涙がはさみによって生まれた風穴に吸い込まれる。そんなときに空気も読めないインターホンが鳴り響いた。誰よ、乙女が感傷に浸っているのに!涙を拭いながらドアの覗き窓を睨む。そこには罰の悪そうに哀れな一張羅の男が立っていた。黙って用心のためかけていたドアチェーンを外す。

「…!さ、さっきは、」
「入りなさいよ」

許してあげる。その意味が伝わったらしい元親は嬉しそうにわたしを抱きしめた。無駄に鍛えられた胸筋に圧迫されてあつくるしい。べりべり体を剥がして、テーブルの前に放り投げる。席に着くわたしに見習って、元親もいつもどおり正面に座った。遅い二人の夕食が始まる。

「アンタのせいでテーブルに傷がついたじゃない」
「悪かったって、明日二人で買いなおしに行こうぜ」
「仕方ないから付き合ってあげる」
「本当にかわいくねーやつ」
「あら、それを彼女にした男は誰かしら」
「へいへい」

参りました、と元親は手を挙げたのだった。


(110808) よしのさんへ!