建物の破壊される音、人がもみ合う呻き声、全て恐怖にしかなりえない。
「お逃げ下さい、様!」
周りに居た女中たちがせっせと私に袿を重ねていく。これではまるで城落ちする姫様か何かのようではないかと自嘲した。煌びやかな着物たちは全て父上が商いで手に入れたもの。こうして重ね着しておけば敵方に見つかったとしても、分け与えて命は保障される。
ただしそれが姫様ならばそうであろう。だが、私は一介の商人の娘。金品目当ての押し入りならば命があってもその行く末は見えている。
だからだろうか、今になって彼らと共に過した日々を思い出してしまうのは。
父上は瀬戸内を股に掛ける大商人だった。幼い頃より随行し、船旅に慣れ、各国の要人とは顔見知りであった。とりわけ印象に残っているのは毛利家の松寿丸と長曾我部家の弥三郎。
松寿丸は嫌いだった。彼の瞳はいつも冷めていて、その癖ねっとりと品定めをするように人を見る。
弥三郎は好きだった。彼とは頻繁に会い、遊び、言葉を交わした。静かで、室内で遊ぶことを好み、一風変わった男の子だった。
いつだったか、最初で最後と思われる、三人の邂逅。
「そなたは我のところへいずれ来い。側女に置いてやる」
「だったら俺はを正室にする!」
傲然と言い放った松寿丸と、健気に対抗した弥三郎。我ながら七歳児とは思えないほど異性から人気があったものだ。
「じゃあ、弥三郎のところへ行くね」
「……愚かな」
「は馬鹿じゃない」
「フン、いずれ分かる」
当然私は松寿丸よりも弥三郎が好きであったから丁重にお断りした。幼い頃の約束ほど当てにならないことはないだろう。なぜなら明日私は毛利元就に嫁ぐはずだったからだ。そう、松寿丸は元服を果たし毛利元就と名乗っている。まったく彼は人を見下すほどの実力と策謀を兼ね揃えていた。今や西国を三等分にして一つを持つ国主たる男に父を懐柔し、婚約を取り付けてしまったのだ。
でも、それももう、叶わないことだろう。分かりやすいくらいに廊下をどたばたと走る足音が近づいてくる。
「無粋なこと……乗り込んでくるつもりかしら」
「様!裏手から」
「いえ、もう遅いわ」
襖が放たれた。いや、放り投げられたと言ったほうが適切かもしれない。土足で上がりこむ男の力は有り余っているようだった。
「あーあ、外れちまったか」
男は自分の失態に気づき、頭をかく。ついで欄間に額をぶつけた。
「間の抜けた盗賊さんですね」
これが日常の一場面ならば和やかに微笑んだところだろう。しかしこの男が敵であるならばそうはいかない。自分の生死与奪は全て彼の手に握られている。
「盗賊?嬢ちゃん、間違えちゃいけねえよ。俺たちは海賊だ」
「それは失礼。やっていることが大して変わらないものですから」
「様!」
女中の嗜めとも、悲鳴とも分からぬ声が飛んだ。目の前に立つ銀髪の男は、確かに思わず畏怖するほど迫力を持っていた。徐々に近づいてくる男に私だってごくりと生唾を飲むほど緊張はしている。彼の背にある大きな碇がいつ振り払われるかは分からないのだから。
「ようやく見つけたぜ、俺のお宝」
「え? わ、ちょっと」
男は屈んだと思ったら、私の腰に手を回し、米俵のように肩へ抱える。
「な、なんなのよ、貴方!」
「そうだなァ……まだ名乗ってなかったか、俺は長曾我部元親だ」
「長曾我部? まさか」
「ちっと遅れたが迎えに来たぜ、」
いたずらっ子のように微笑む表情は確かに弥三郎そのものだった。あの弥三郎が?偶然ではないだろう再開に戸惑うばかりだ。疑問は多かったが、なつかしさと嬉しさが何よりも勝る。
「ばかさぶろう!!」
「いてえッ」
(120216) 捺世さんへ