まずは起こすことから始まる。姫様は布団を好いているようでなかなかそこから出ようとはしない。特に冬の日はそれが顕著にある。
「起きて下さい、姫様」
「…起きています」
「それは目を覚ましているだけであって、起きたとは言いません」
「まただわ、小十郎の屁理屈さん!」
「事実を申したまでのことです、さあ朝餉が冷めてしまわれますよ」
しぶしぶといったような顔で姫様は布団から這い出た。それから今日は何を着るかに半刻を有す。それを見越して小十郎は朝餉ができる一刻前から姫様を起こしに行くのはさすが竜の右目といったところか。
きらびやかなお召し物を靡かせて姫様は朝餉の後に政宗様へ会いに行くと部屋を出た。姫様が部屋から出るのは誠に久々のことだったので少し驚く。なにしろここのところずっとふさぎ込んでいたものだから、ようやく立ち直れたようで安心もした。
「お供をせずともよいのですよ」
「姫様が何をなさいますか不安なのでございます」
「心配など…杞憂に終わりましょう」
謁見の間へと続く曲がりくねった廊下を曲がった最後にちょうどそこから男が出てきた。見知った男を眼に写した姫様の顔はさっと曇る。ほら、杞憂ではなかった。
「ああ、久しぶりですね」
男は姫様に気づくと何食わぬ顔で近づいて慇懃に挨拶をする。姫様は返事もなく、おそらくどう返したらいいのか分からないのだろう、顔を強ばらせた。
男はひと月前まで姫様の夫であった。最初こそ仲睦まじい夫婦だったが姫様のわがままっぷりに愛想をつかし、三行半を押し付けた。どの顔が姫様に会わせられるというのか、小十郎は怒りを抑えて恐れ多くも姫様を庇うように前へ立つ。
「申し訳ございませんが、姫様はお加減が悪くて、」
他でもない貴様のせいで、と付け加えようと思ったくらいだった。男は俺が前へ出ても変わらぬ笑顔を浮かべていた。
「それはそれはお気の毒に。小十郎もだだっ子姫のわがままにお付き合いなさり、大変でございましょう?」
後ろにいた姫様がわずかに震えたのが分かった。俯く姫様の顔をわずかにのぞき見れば瞳は涙を零さんばかりに潤んでいた。なんとお労しいことか。
それもこれもすべてはこの男のために、姫様のお心は痛んでおられる。
「その程度、わたしにとっては可愛らしいものでございます。最もあなた様には姫様の甘えもお分かりにならないでしょうが」
「殊勝なことだ」
気分を害したのか、明らかな嫌悪を目にたたえていた。分からぬならそれはそれでいい。もとよりこのような男が姫様の夫など、過ぎたるものなのだ。去っていく男に安心したように姫様はほっと一息ついた。
振り返って、いつの間にか姫様が着物の袖を握っていたことにまた愛おしさが溢れ出す。
この姫様は甘え方が分からない不器用なお方なのだ。だからわたしはこの方を甘やかして何でもないわがままをいくらでもきいて差し上げる。それが俺の愛情表現なのだから。
「小十郎」
「はい、何でしょう」
「おまえだけはいつまでもわたしの側にいなさい」
「承知いたしました」
本当に可愛らしいお方だ。ゆっくりと姫様の手を取り、今日はやはり部屋へ帰りましょうと促した。姫様の泣き顔は例え主君といえど見せたくないほどお美しいものだ。
(091205)