気分はまったくもってすぐれなかった。それもそのはず、昨日大学から付き合っていた彼氏と別れたのだから。彼の別れの言葉は案外あっさりとしていてわたしたちの関係は嘘のように切れた。同時に涙腺も崩壊したのだった。
その沈んだ気持ちのまま電車に揺られて会社へと足を運んだ。本当は休みたいくらいだったけどそれを理由にするのは気が引けた。もちろん理由をこじつけることはできたけれど、そんな甘いことは言っていられない。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
いつもわたしは早く来るけれどそれよりも早く片倉さんは来ていた。それなのに今日に限って彼は同じ時刻に来た。エレベータでばったり鉢合せをして会釈をする。わたしが言う前に彼は望みの階を押してくれた。驚きながらもお礼を言う。
どうもエレベーターに人と乗るのが苦手だ。これが友達ならまだ話で時間も潰せようが、顔見知りとはいえ話をするほどの仲でもない片倉さんとだと気まずい空気が流れる。早く着かないかとそわそわしているとエレベータは押してもいない階で突然止まる。
「?」
てっきり誰かが押して入って来るのかと思いきやドアは開かない。あれ、どうしたんだろう、もしかして…?嫌な予感がした。片倉さんも不思議に思ったのか開閉のボタンを押すが依然としてエレベーターは作動しなかった。
「こ、故障ですか?」
「…みたいだな」
こういうときこそと思って呼び出しを押す。しばらくして片倉さんは話をつけて、いずれ助けが来るだろうと教えてくれた。ほっと胸を撫で下ろしたはいいけれどつまりそれまでわたしはエレベーターで片倉さんと一緒にいなければならないのだ。
「……お前、目が腫れてるがどうした」
少しの沈黙の後口を開いたのは片倉さんで、聞かれたことが一瞬分からずにきょとんとする。が、すぐに理解して返事に困った。昨日泣きはらした後を指摘されたらしい。片倉さんは意外と鋭いお人だ。そして気持にも敏感な人なのか、言いたくなければいいとおっしゃってくださった。わたしもそこで止めておけばいいのに沈黙に耐えかねて白状した。
誰かに愚痴を聞いてもらいたいと思ったのは初めてで、それが片倉さんというのもどうかと思うが、彼は文句ひとつ言わずに聞いてくれた。的確なところで相槌を打ち、それはひどい男だなと言ってくれた。なんて優しい人なんだ。
「あの…本当にごめんなさい…みっもないところをお見せしてしまって」
「いや、俺だったらお前みたいないい女と別れようだなんて微塵も思わねぇのにな」
「…彼女さんが羨ましいです」
本当にそう思う。きっと片倉さんの彼女になれたら幸せなんだろう。少なからず彼女さんに嫉妬した。大事にされているに違いない。
「彼女さん?そんなのいねぇぜ」
え、とびっくりした時にエレベータが突如動き出した。いきなりだったもので足元がぐらつき手すりを咄嗟に掴む。どうやら直ったらしい。この時間がもうすぐ終わるとなると名残惜しい気もした。
目的の階にたどり着き、ではまた、と片倉さんに言う。すると引き止めるように片倉さんが私の腕を掴んだ。
「なあ、俺にまったく関係のない話をどうして下心なしに聞くと思う?」
今度こそ心臓が止まりそうになった。
(090925)