生徒会室、わたしはその前で大きく深呼吸をした。それから頬をやんわりと押さえて、ドアノブに手をかける。

「失礼します」
「knockくらいしろよ」

苦笑いで生徒会長こと伊達政宗はわたしを迎えた。珍しく机に座り、手元には書類が置いてある。仕事からしてもらうように説得せずに済んでよかったと胸をなでおろす。
わたしは副会長を努めているがどうにも伊達先輩が苦手だった。雰囲気が艶やかで、魅惑的な男の人。彼の手練手管で落ちなかった女はいない、という専らの評判だ。そんな人と密室で二人っきりというのは思ったより神経を使う。

「それで?」
「文化祭委員から捺印をと」
「置いといてくれ」

言われたとおり積まれた書類の上に置く。サンクス、と言われて伊達先輩をちらりと見た。相変わらず綺麗な顔つきをしている。勉強は仕事をしているときは眼鏡をつける習慣を最近になって知った。じっと紙とにらめっこをしている伊達先輩はとてもかっこいい。いつもこう真剣だったらもっといいのに。
別に伊達先輩は苦手だけど、嫌いじゃないのだ。細かい気配りの出来る人だし、実は仲間思いなのもよく知っている。つまり恋愛面以外の伊達先輩は尊敬の出来る好青年と言えた。この軟派な性格をどうにかしてくれたら、惚れそうなくらい。もったいないなあ、とため息をつくと伊達先輩がそれに気づいて

「なんだ?あっちこっち行ってさすがに疲れたか」

と、労わってくれた。そっちじゃないけど、本当の理由を言うのも面倒なので頷いておく。
伊達先輩は徐に席を立って棚から箱を下ろす。それから応接間のようなテーブルにそれを広げた。おいしそうなクッキー、思わすおなかがなる。

「Here you are.」
「えっ…いいんですか」
「お疲れの副会長殿には甘味がよろしいかと思いますが?」
「先輩の敬語って気持ち悪いですね」
「失敬なやつだ」

向かい合ってソファに腰掛ける。無言でクッキーを食べ始めた。端から見れば異様な光景だろう。耐え切れなかったのか伊達先輩が沈黙を破る。

「美味しいか?」
「デリシャスです」
「発音わりぃな」
「伊達先輩の真似をしたまでですよ」
「クッ、へたくそ」

自分の真似をされたと聞いて、てっきり怒るかと思えばこれだ。伊達先輩のツボって未だによく分からない。がじがじ。このクッキー固いな、はずれか。

「Lady、口元にクッキーがついていますよ」
「!」

トントンと伊達先輩が自分の口元を示す。慌てて触れるけど、クッキーなどない。あれ?手元のクッキーをなにげなく見た瞬間だった。影が落ちて、ぬるりとした感触が唇近くに落ちる。顔の近い伊達先輩の情に濡れた瞳を眼鏡越しに見つけた。

「こっちだ、ばーか」
「…いいい言えばいいだけでしょう、馬鹿なのはそっちじゃないですか!!」
「心外だな。まあそんな真っ赤な顔して言われても説得力ねぇぜ?」

いつだってこの人はそう。いたずら好きの伊達先輩はわたしの反応を見て楽しがってる。好きだ、告白まがいのことは何度もされたことがあった。でもすぐにこの人の好きは本気じゃないことを知る。誰にだって言っているのだ。

「もうからかうのは止めてください」
「Ha、からかう?俺はいつだって本気だぜ。おまえのことが好きだ」
「…っ、わたしには信じられません」

机を跨ってわたしの顔をじっと見つめる伊達先輩の瞳が怖くて目を逸らす。だ、だから苦手なんだ。

「……どうしたら信じてくれる?」

優しく先輩の手がわたしを向きなおさせる。傷ついたような、不安めいた表情をした伊達先輩に胸がどきんと跳ね上がった。そんな顔されたって…どうしていいのかわたしにも分からない。

「   」

小さく名前を呼ばれて、ハッとしたときにはまた伊達先輩の顔が近づいていた。触れるだけの柔らかいキスをされる。カチャ、と眼鏡がずれる音がする。

「これ、邪魔だな」

一度離れてにっこりと伊達先輩は笑い、乱暴に眼鏡を投げ捨てた。そうして今度はもっと深いキスをされる。脳みそがとろけそうなほどうっとりとした。伊達先輩の余裕はどこから来るのだろう。いつもわたしだけがドキドキされているようで、本音を言えばわたしはそれが苦手だった。

ああ、ドキドキしている、だなんて。まるでわたしは先輩に恋しているようではないか。

「本当に好きなんだ。付き合ってくれ」
「……本当に本当、ですか」
「どうしてそう信じられねぇんだよ」
「だって、先輩他の人にも好きって愛想振りまいてますもの」
「おまえそれを見たのか?」
「いえ、友達からの情報で」
「誰だそんなでまかせを流したのは」

チッと伊達先輩は舌打ちしてほっぺに唇を落とす。

「俺はおまえしか見てねぇよ。これだけ態度で示しているのにまだ分からないのか」
「伊達先輩…」
「頼むから、言ってくれ。あんたも俺が好きだって」

縋るようにわたしの両頬を掴む伊達先輩は、いつもの余裕がすっかりナリを潜めていた。別に伊達先輩は嫌いじゃない。そう、生徒会に入ったのだって伊達先輩に憧れたからだ。伊達先輩のことを今まで見てきたけれど、確かに彼は女の人と仲がいいけど思わせぶりな言葉を一度だって吐いていない。
自分で見てきたことを信じようと思った。まずは信じなければ何も始まらないのだ。

「……伊達先輩のことが、好きです」
「!!」

途端に嬉しそうに伊達先輩が微笑んだ。意地悪い笑みじゃなくて、本当に嬉しいといった笑顔だ。こんな顔をする人だったか、驚き目を見張る。
伊達先輩は一回ぎゅうっとわたしを抱きしめてから、覗き込むようにわたしを見た。

「なあ…いいか?ずっと我慢してだんだぜ」

わたしは黙って小さく頷いた。しゅるりとネクタイが外れる音がする。先輩がこっちのソファに移って軋む音がした。わたしの横に根付いた先輩の手にそっと触れてみる。きっとこれからの幸せも不幸せもこの手にかかっている。

ねえ、先輩。信じていいんですよね。


(100715)

志井姐さんに眼鏡政宗を。ええ、まったく活かせていません。