「それで俺は見事にあいつにつられて池へ落っこちたわけだ」
「ええ、覚えておりますとも」
「そうか?それじゃあこの話はどうだ」

俺は飽きもせずに小十郎へ語り掛けた。なにしろ隠居してから久々に屋敷へ小十郎が来たのだ。ついつい話が弾んでしまう。

「そのような懐かしい話ばかり、政宗様もお年を召しましたな」
「おめーの方が年上だろ」

そう、俺たちは随分と長い間生きてきた。武将としてはまさに大往生といっていい。なにしろもう乱世はとっくのとうに終焉を迎え、今生きている若えもんは戦に出たことすらない者がほとんどだ。それは喜ばしいことに違いないのに、どことなく寂しさも感じないわけでもない。
ふ、と空を仰げば真っ赤な夕日が覆い始めていた。そういやあいつはこの色にいつも怯えていた。血のようで、怖い、怖い、と。まるで子供のように。
くつりと喉で笑う。何を見ても最近はあいつのことばかり思い出してしまう。彼女がこの世を去って久しいというのに。だけれどもこれはすごい進歩だ。こんな風に懐かしむことが出来るとは思っていなかった。あの時はただひたすらに俺も子供のようにして嗚咽を洩らし、彼女のいない世界を嘆いた。

「そろそろ日も暮れますね。今日はこの辺でお暇致します」
「おう、きーつけて帰れよ」

小十郎がいなくなり、侍女は夕飯の膳を運んでくる。しまった、誘えばよかったな。政宗はしかめっ面をして箸を手に持った。

ほうほうほう
梟の鳴き声が聞こえる。何故かわからないが突然目が覚めた。夜の暗闇に目を慣らし、天井の木目を睨む。胸がどこか苦しい。嫌な汗が額を滑った。ああ、これは。ぎゅうと胸を押さえる。
苦しさに涙が出て霞んだ視界に入ってきたのは、女だった。一目でそれが誰だか分かり、思わず頬を緩める。彼女はあの若かりし頃と変わらない姿のまま、にっこりと微笑んでいた。
彼女の手が胸にある俺の手を包む。痛みがわずかに和らいだ。

「なあ、」

呼びかけても返事はない。だけど話は聞いているようで、ますます笑みを濃くした。その瞳は懐かしさで滲んでいる。俺もきっとそうだ。どれくらい久しぶりの再会だ。ええ?俺を残して先に逝った彼女を咎めるように笑って軽く睨んだ。

「俺は十分お前のいない世界で生きただろ?」

お前が望んだのだ。俺に生きろ、と。伊達家を宜しく頼む、と。だから俺はお前の後を追いたくても追えなかった。その間ずっと俺は満たされなかった。俺はお前に会うことだけを楽しみに余生を一人送った。
おそるおそる彼女の頬に手を当てた。随分冷たい。そりゃあ幽霊だからか。

「お前も、俺がいなくて寂しかったんじゃないか」

その問いかけにふるふると首を振られてムッとする。そのまま頬をぎゅっと伸ばしてやれば、慌てて頷いた。最初から素直に頷いていればいいんだよ。
ああ忘れかけていた彼女の顔が鮮明に見れることの嬉しさ。俺が何より悲しかったのは彼女の笑顔を忘れていくこと。年なのは仕方ないにしても、忘れる不甲斐なさには腹が立った。

「もう許されてもいいよな」

問いかけると、小さくこくんと彼女は頷いた。そうして皺くちゃになった俺の手を彼女は優しく取る。行こう。彼女の口がそう告げたのが分かって、俺は嬉しくなり彼女に抱きついた。もう二度と離してやるものか。



(100627) 政宗追悼
あいはあめつちへとかへる