ガタン ゴトン ガッタン …
ああ、飲みすぎた。ふわふわと宙に浮くような足心地で車内に足を踏み入れる。送ろうか?と心配げに尋ねた同僚に大丈夫と笑って見せて、終電に乗った。三両目の弱冷房車両にはわたししかいない。にも関わらず普段の習性とは恐ろしいもので、一番端の席に腰を落ち着ける。ひんやりと冷たい鉄の棒に寄りかかり、絶妙な揺れに身を任せた。
もう各停電車しか運行していないようだ。ふたつかみっつめの駅だったと思う。車内に一人の男が入ってきた。ちょうど正面の扉からだったので、半開きの目も視界に入れざるえない。ちらりと見たらスーツ姿だったので、同じく終電組のサラリーマンだろう。その男は千鳥足、ではなく疲れきった足取りでこちらへ歩いてきた。
(げ、なんでわざわざ隣に…!)
内心隣に座ってきた男に毒づく。これだけ席は取り放題というほど空いているのに、心理的にも隣に座る日本人がいるだろうか?
電車はわたしたち二人だけの車両を乗せて再び出発する。急に感じ始めた窮屈間に身を捩った。寝苦しさに似た感覚だ。
「……クッ、なんつー顔してんだよ」
え、いまわたしに向かって言ったの、この男?馴れ馴れしいにもほどがあるんじゃない。じろりと睨もうと隣を見たら、テレビに出てきてもおかしくないほど整った顔にこちらが思わずたじろいでしまった。文句も、どちら様ですかと尋ねる勇気もなくわたしは再びうつむく。こうなったら寝たフリをして到着駅までやり過そう。それが恥をかかない最善の方法だ。
「おい、無視するなよ」
「……?」
「まさか俺のことを忘れたとは言わせねえぞ」
フルネームで呼ばれてドキッとしつつ、再び男を振り返る。こんな知り合いいたかしらと記憶を引っ張り出すと、確かに見覚えのある顔だった。酔っているせいかしら?落っこちてきそうな瞼を呼び覚ましてピントを合わせる。
大学? いや高校生… は、いない。 同じ電車なら地元か、中学時代 何年何組だっけ 部活にいたらさすがに覚えているだろ… 待てよ、そういえば隣のクラスに
『なァ、好きだって言ったらアンタどうする?』
走馬灯のように記憶が鮮やかに蘇る。帰り際の空き教室に我が物顔で入ってきた他クラスの問題児で有名な、そう名前は伊達政宗。夏風の吹く窓のサッシに手をつき、わたしの視界を遮って彼はある日突然こう言い放ったのだ。
うわ、なんで忘れてたんだろう。あのときのわたしは何と言ったんだっけ。
『天地天命にかけてないと言い切れるが、もしお前が更生して、自己責任という言葉を覚えて、信用にたる社会人になったら考えてやんよ、ガキ』
サァァと血の気が失せていく音が聞こえる。ほろ酔い気分が一気に醒めた。あの時のわたしは怖いもの知らずの反抗期というやつで、全ての馬鹿な精神年齢の低い男子を軽蔑し生きていた。噂に上っていた問題児などもってのほかである。どうせ罰ゲームの面白半分で口説きにきたのだろうと高をくくってあのような暴言を吐いたのだ。伊達の豆鉄砲を食らったような顔に満足して、悠々と教室を出て行ったことまで嫌になるほど覚えている。いや、思い出してしまった。
こ、これはお礼参りというやつなのか。自身の呆れるほど愚かな過去に冷や汗が止まらない。伊達は怖いほどに笑顔でこちらへずいと顔を寄せた。
「なァ、好きだって言ったらアンタどうする?」
「……は」
「条件は揃っていると思うぜ」
ピッと胸元から差し出された名刺に目が点となった。伊達商事代表取締役、なにこれ、社長ってこと…?伊達と名刺を交互に眺めていたら、その様子がおかしかったのか伊達はますます笑った。
「ず、随分丸くなったね」
「Ha! そりゃお互い様じゃねえか。昔のアンタはかっこよかったぜ」
「やめて、恥ずかしいから!!」
押しのけるように手を前に出すと、それを見事に伊達は捕まえてより距離を詰めてきた。
「俺はまだ返事を聞いてない」
「あ、えと…今?」
「当たり前だろ。何年辛抱したと思ってやがる。降りるぞ」
「ちょっと」
逃がさないとでも言いたげに肩を抱かれて終電を降りた。人もまだらなホームで実に十年ぶりの恋物語に男女は決着をつけるのだった。
(110805) ひらりんへ伊達政宗(24)を捧げる