聞いてくれませぬか?失礼、わたくししがない某武家の妻でございました。元親様と知り合いになりましたのは、夫ともにご挨拶を申し上げたときでしょうか。噂に聞いていた通りの気さくなお方でした。わたくしめのような卑しい身分にもありながら、対等のように話しかけてくださいます。

「困ったときはいつでも言えよ。俺が助けてやっから」
「なんともったいなきお言葉…!」
「ははっ、大仰な奥方殿だ」

そのお言葉を頂いたときは胸が震えました。わたくしたちの国を統べるお方は何と尊いのかと耳を疑ったくらいです。
ですが、元親様から拝領している我が家へ帰ったとき、旦那様はわたくしとはまったく違う印象を受けたようでした。眉根を顰めて、声を潜めて「元親様には気をつけろ」とおっしゃったのです。何てことはない、ただの嫉妬でした。元親様に比べて旦那様の器は本当に小さきことを不憫に思ったものです。それでもわたくしはこの旦那様に添い遂げることを誓ったのですから、一応は頷いておきました。

そうしていくらか滞りなく時が過ぎ、ある晩のことでございます。わたくしは旦那様が破ってしまわれたほつろいを縫っているところでした。チクチクチク。小さな蝋燭を頼りにわたくしは六畳半の部屋でひとり心細い思いをしていました。
そんな折に人の声が聞こえてきました。それもただ事ではないような剣呑な雰囲気と悲鳴が。恐ろしくなりただただそれが通り過ぎるのを待つばかりでした。けれどもそれは立ち去るばかりか、近づいてくるではありませんか。思わず旦那様の衣服に縋りつくように抱きしめました。ぎゅうと目を瞑れば、微かにパチパチと音が近づいてくるのにハッとします。

(まさ、か−)

襖を開けると案の定というべきでしょうか、村には火が放たれていました。わたくしは愕然として襖へ凭れ掛り、ただただその光景に怯えました。無力なわたくしの手では何もすることが出来ないと項垂れるばかり。

「ここにも女がいるぞ!」

下卑た笑みを浮かべた男がいつの間にか廊下の先にいました。血の気が引く音が聞こえた気がします。気づいた時には後の祭り、と言うのでしょうね。もはや覚悟を決めていました。でも…ふふ、おかしいんですのよ。そのときわたくしの脳裏に浮かんだのは旦那様ではなく元親様でした。自分のことながら何と浅ましいことでしょう。
そして物語のように彼は本当に現れました。

「無事か!?」

夢だと、これはわたくしの作った妄想だと。だってこのような村に元親様が直々にいらっしゃるはずなどありはしません。けれど元親様の暖かい手が肩に触れてわたくしはこれが現実だと知りました。自然と溢れ出る涙が憎らしゅうてたまりません。

「悪いな、最近この辺りがきなくせぇことは知っていたんだが到着が遅れた」
「いいえ…いいえ、来てくださっただけでもう…」
「ここは俺に任せて、外で部下が控えている。逃げろ」

優しく背中を押されて、わたくしは後ろ髪が引かれる思いでしたが素直に頷きました。わたくしのような出来の悪い者でも、彼の好意を無駄にするのは得策ではないと分かります。わたくしは煤けた着物をわずかにたくし上げて元親様に背を向けて走り始めました。いつの間にか心の中から恐怖は消えています。
最後に聞こえたのは男たちの断末魔でしょうか。

「…なしが、ちが…!!」

よく聞き取れはしませんでしたが、どうせ元親様の悪口に違いありません。特に気にも留めずわたくしは長曾我部軍の方々に保護されようやっと安堵の息を吐きました。
明くる朝に元親様から夫が亡くなったのを聞きました。どうやら首謀者たちは夫を逆恨みして事を起こしたようです。さすがに胸に迫るものがありました。みっともなく嗚咽して涙を流すわたくしを元親様はそっと宥めてくださいました。

その後?あら、聞くのは野暮だと思いませぬか。


(100620)