※佐助のイメージを著しく損ねる話なのでご注意下さい
しくしくしく
雨の音に紛れてひいさまのすすり泣く声が聞こえた。お労しい、と女中たちが噂をしているのが忍には嫌でも耳に入る。
一人目の旦那さまには戦で先立たれ、二人目の旦那さまは何者かに毒を盛られ他界、三人目の旦那さまはそのことをお知りになり離縁なされた。かわいそうなおひいさま、本当におかわいそう。
果たして心底そう思っているのかは定かではないが、おひいさまがいる部屋の方を見て眉を曇らせた。そうだね、俺様もひいさんには同情してしまうよ。そっと心の中で呟く。
「…さすけ」
涙に濡れた瞳を隠すように擦りながらひいさんは俺を見上げた。傷一つないきれいな手をつかむ。
「そんなに擦ったらかわいい顔が赤くなっちまう」
「いいのよ、どうせ貰い手のないお飾り人形だもの」
無理をして作り笑いを浮かべるひいさんに俺は窘めるように見たが、ひいさんは自嘲することを止めなかった。
「だってそうでしょう、お館さまのお役にも立てずに…あのお方も知るやいなや手のひらを返し去ってしまったわ」
「そいつは単にひいさんを受け入れる度量もないただの馬鹿だったってことさ」
「そうかしら、案外妥当な判断かもしれないわよ。こんな曰く付きの女など」
「ひいさん!」
それ以上己を責める姿に耐えられなくなって衰弱した体を胸に閉じ込めた。こんなところを真田の旦那に見られたら減給かもしれない。
「俺だったら決してひいさんを捨てたりしないよ」
「…さすけ、」
「きっとそいつらはひいさんと先の世で縁がなかっただけさ。今にきっと現れるよ」
「ありがとう。おまえは優しいね」
冷えた手が俺の髪を撫でる。俺はよりいっそう腕に力を込めた。愛しい愛しい俺のひいさん、あんたは何もわかってないよ。俺様はまったく優しいとは程遠い忍なんだから。
ざあざあざあ
前よりも雨は勢いを増している。俺は笑いたくなるのをこらえて、今まで任務外に殺してきた男を思い浮かべた。
一人目の男は戦の最中で単騎を狙い首もとをかっ切った、二人目の男は効き目の遅い毒を仕込み毒味もろとも葬り去った、三人目の男はわざと聞こえるようにひいさんの噂を教えてやった。
ああ、もちろんひいさんを悲しませた罪を俺は許さないから鷹狩りに混じり、矢で射殺してあげたよ。いずれその話もひいさんの耳に入るかもしれないのが残念だ。
「佐助、情報統制はおまえに任せたはずだが。なぜやつの耳に入った?」
「さすがの俺様でも女中の噂に逐一注意も出来ませんよ、真田の旦那」
「…そうか。あやつにはつくづく不憫な思いをさせておる。どうにかならんのか」
「さァて、俺様にはさっぱりだ」
茶化すように言うと、真面目に考えろと主人に怒られる。だけど頭の中ではこれでもかというくらい不快な思いが渦巻いていた。ひいさんをまた嫁にやろうとするの、旦那?どうして無駄なことを繰り返すんだ。ひいさんは誰にも渡さないよ、この俺様がいる限り、ひいさんはずっと独り身さ。
ああでもいつか狂おしいほどの愛に取り憑かれて俺は彼女を閉じ込めてしまうかもしれない。いっそそうしてしまった方が楽なんじゃないだろうか。
「次は到底死にそうにもなく、外聞も気にせぬ男がいいか」
「そんな男がいますかね」
「いるさ」
何か企むような旦那の顔に俺はざわりと不安が駆け巡った。誰だ?誰にひいさんを渡そうとするんだ。自然と拳に力が入る。
「彼の独眼竜ならばどうだろう」
「…は、それ本気?冗談なら俺様全然笑えないよ」
「申し分ない婿ではないか、某が認めた好敵手こそ相応しいと思わんか」
なあ、佐助。意地悪く笑う旦那に俺は言葉を失った。この人は分かっている。分かった上で俺を試しているのだ。
「そうだね、本当に、俺様もそう思うよ」
本当に忍が優しいだなんて笑っちゃうよひいさん。待ってて、次は竜の首を土産に持ってくるから。ねえ、その時はどうかもう俺の側を離れないで。
八雲立つ 八雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
(100121)
本来最後の和歌は政宗で書こうと思っていたんですが、あまりにいまのにぴったりだから。
訳すと「雲が盛んに立ち昇る、その湧き出る雲にゆかりの出雲国に幾重にもめぐらした垣根を妻と一緒に籠もらせるためにその八重垣を作ろう、ああその八重垣を」になります。出典は古事記、須佐之男命が詠んだ日本最初の和歌と言われています。
そんな高尚の歌を挿入するのは畏れ多いと思ったんですが、あまりにもその歌が素晴らしいので。おそらく用途は間違っていそう。
最後の方、旦那を鈍くするか気づいているか迷ったけど…むしろすべてを分かっていて佐助に殺させ、高みの見物をしているのもいいかなと。黒い真田の旦那が大好きです。