久闊を叙す
プールサイドの熱気を帯びていた床に水がかけられて、むわっとした熱気が逆にこちらへ放出された。それにはしかめっ面をしてかすがを見上げる。
「わたしにかけてよ〜」
「無理を言うな、い、意外にこれは重いんだぞ…!」
大きなバケツを持ったかすががまたいっぱいに水を汲んでプールサイドにぶちまけた。もちろんわたしたちに届かずそれは床いっぱいに広がる。仕方ないなあ、とわたしは立ちあがって屋根に守られた安全地帯から太陽さんさんのかすがのところまで行く。セームを浸してから、せーの、で一緒にバケツの水を投げた。
それにきゃあきゃあいう先輩方。この辺は越後高校の陣地のため女子ばかりだ、なにせ女子高なのだから。そして一年生に力仕事を任せて先輩方は優雅に踏ん反り返っているわけである。
今日は夏の中でも目玉の大会が越後高校で行われていた。各高校のそうそうたるメンバーが集まっている。既に午前の部は終了していた。女子高は男子とは無縁の生活のために、この日はそれこそ越後高校の応援席からは黄色い声が響いていた。
特に騒がれたのが長曾我部元親くんという随分長ったらしい名前の人。50M自由形でものの見事に一位をもぎ取った。おそらくあの速さでは100Mもトップに立つだろうと推測する。いいな、男の子はあんなにあっさりと早く泳げてと羨まずにはいられなかった。
『女子100M背泳ぎに出場する方は集まってください』
かわいらしい女の子のアナウンスが聞こえてきて、ついに出番かと重い腰を上げる。セームを絞って冷たい水を浴び、生き返った気分になった。
さっさと行くぞ、とかすがが急かす様に声を上げるものだから、慌ててわたしも彼女の後を追った。
「待って…わっ!?」
ところがよほど慌てていたのか知らないけれどは水び出しになったプールサイドの床に滑ってしまう。反射的に手をついたがばっちりその付近にいた人に転んだ姿を見られてしまった。恥ずかしいやら情けないやらでため息をつく。
「大丈夫か」
低い男の声がした。顔を上げれば先輩方がこれまたきゃあきゃあと言いそうなほどかっこいい男子が―これは夢ではないかと思うほどに―手を差し伸べてくれていた。ありがとう、とその好意に甘えされていただき立ちあがる。
「!…平気か?」
「うん、この通り」心配げにかすがが戻ってきてくれた。幸いなことに怪我もなく、ただ転んだだけだと見せるとほっとしたようにかすがが胸を撫で下ろす。
「…?なのか?」
傍にいた男子が驚いた声をあげた。俺だよ、と、覚えていないか、と次々に言葉を告げる。こんなに整った顔をした男子に知り合いがいたかしら。じいっと顔を見るけれど思い出せない。素直にそういうと無理もないと男子は笑った。
「俺は伊達政宗だ、名前なら片隅に残っているんじゃないか」
「伊達政宗…ん?まーくん?」
「ご名答!さすがにその呼び方はもう恥ずかしいな」
「びっくりしたよ。久しぶりだね!」
「ああ…っと、引き止めて悪いな。次だろ?」
「そうだった。あっ、よかったら今度米沢に遊びに来てね!」
「覚えておく」
急いでいたから挨拶もそぞろに別れてかすがと共に招集場所へ行った。あいつは誰なのだとかすがは素朴な疑問を投げかける。
伊達政宗、当初はまーくんと呼んでいた人物は小学校の頃に同じスイミングスクール米沢に通っていた友達だった。まーくんは途中で引っ越したためにそれきり連絡も途絶えていたが、よもやこんなところで会うとは夢にも思わなかったとかすがに話す。
「なるほど、不思議な縁もあるものだ。伊達ならさきほどの50M自由形に出ていたぞ。確か三位だったが…気付かなかったのか」
「わたしはミーハーな先輩方と違ってそこまで男子の競技は見ていないんです」
「まあよかったな再会できて」
「…うん、でもそれより今のわたしたちは目の前のことに集中しないとね!」
思わぬ出会いだったが100M背泳ぎはもうすぐに始まってしまう。また政宗くんのことは後で考えようと水面をじっと睨んだ。
(100221)
ミーハーってみいちゃんはあちゃんの略なんですよね。辞書で見た時は衝撃を受けました。