誰も知らない思い出に
翌日、思いがけず幸村が茶菓子を持っての家を訪れた。彼女の母親は嬉しそうにそれを受け取り、大きくなったわねぇ、としみじみ呟く。母親が見た最後の幸村は小学生の卒業式だ。はそのまま私立に入学したために、中学の幸村を同様に知らない。
「汚い部屋だけど…」
一時間前に連絡をもらって、大急ぎで片付けた部屋だ。物をこれでもかとクローゼットに押し込んである。はそれを思って苦笑したが、幸村は気づいていない。
お構いなく、と幸村は大人びた表情を浮かべながら視線をきょろきょろとさ彷徨わせていた。落ち着かないのかな?とは思ったが違うようだ。
幸村は目的のものをゴミ箱から発見した。あの時は綺麗に包装されていたものが今や皺だらけになっている。丁寧にそれを拾い上げればの笑顔は硬直した。
「幸村くん、ばっちいよ。捨てておいて」
即座に作り笑顔で返されたが、これは昨日のか、と幸村が訪ねれば今度こそは戸惑いを隠せなかった。
「某が頂いてもよいだろうか」
「……でも、それ」
「政宗殿へあげるつもりだったのは重々承知でござる。だが、折角殿がお心を尽くして作りなさったもの。捨てるにはあまりに惜しい」
は汚いから、と言葉を繋げるつもりだった。決して政宗のために作ったものを受け取ってもらえなかったからと言って幸村にあげるのは嫌だ、と思ったわけではない。
「汚いよ」
「そんなことはない、中身は変わらん」
「おなか壊しても知らないからね」
了承と受け取った幸村は礼を述べて、包み紙を丁寧に剥がした。美味しそうな手作りのガトーショコラを無造作に掴み、がぶりと食べる。
「まことに美味でござる。かように美味いものを食べ損ねて政宗殿も可哀想な御仁だ」
にこりと笑って彼女の頭を優しく撫でた。
おそらく彼なりの慰めだろう。はなにか救われたような気がした。あふれ出そうな涙をそっと拭う。
「…ありがとう、幸村」
ありがとう、だなんて、某が言いたいくらいだ。
帰り道、幸村はマフラーに顔を埋めてまだ感触の残る手をじっと見た。これで気持ちにけりをつけることが出来る。
と、そこでポケットから振動を感じた。携帯電話を取り出すと猿飛佐助の文字が。
「おお佐助か」
『旦那、どこいるの』
「少し殿の家に寄っておってな」
『ふーん?いいけどCD借りてくるの忘れないでよ』
「分かっておる」
幸村は寒空に澄んだ空を見上げて思わず立ち止まった。どこか晴れ晴れとした気分である。
「なあ、佐助」
『ん』
「初恋とは叶わぬものだな」
『なにそれ縁起でもない、止めてよ!』
凜子のことを思い出したのかヒステリックな声を上げる佐助を無視して幸村は笑った。誰にも気づかれなかったものだった。だがそれでいい。彼女にはたくさんの勇気をもらった。それをいくらか返せたならばそれで。
ねえ、わたしっていうの。あなた何て言うの?
隣の席に座る溌剌とした女の子が手を伸ばす。転校初日で手が震える男の子はその暖かさに驚き、そして笑顔を浮かべた。
(110401)