愛 辛苦 そう?


三月十四日、言うまでもなくホワイトデー。

「おや、久方ぶりですね」
「今日は。光秀さん」

はバイトで天王山へ来ていた。傷心で自棄になった結果がこれである。はストップウォッチを手に光秀の隣に腰掛けた。
笛の合図とともに子供たちがけたたましい音を立ててプールに飛び込む。まだやり方も知らない彼らの飛び込みはひどく痛そうだった。女の子がいつもとは違う高さに怯えて、飛び込む体勢から動けないでいる。コーチが促すやり取りを微笑ましく見ながらも、はうっかりすれば涙が出そうなのをこらえていた。
あれから一ヶ月。彼からは何ら音沙汰もない。元々学校も違い、部活もシーズンオフのため小規模の大会しかない。己から誘わなければ接点がないことをまざまざと思い知らされた。

「随分と元気がありませんね。失恋でもしましたか?」
「……そう、かもしれません」
「これはこれは。冗談のつもりだったんですが」

困りましたねと光秀はまったく困った表情をせずにのたまう。

「お相手は政宗ですか」
「よく分かりましたね」
「あなたたちを見ていれば分かりますよ。まあ…彼は恋愛に臆病なタイプですからね。加えて不器用ときたら、貴女が手こずるのは無理もないことです」

光秀はやれやれといったし仕草を見せて、わざとらしくため息をついた。その茶化した様子にわたしは釣られて笑うがどうにも上手く表情を動かせない。そればかりか悲しい気持ちはどんどん胸のうちで膨らんでいった。視界が滲み、止めようとしているのに涙腺は緩むばかり。

(情けない…)

なんと惨めなんだろうか。憧れていた恋とは、ふわふわとしてそれはそれは綿菓子のように甘いものだと思っていた。だが実際に経験してみれば嬉しいことよりも苦しいことのほうが多い気がする。彼のことを思うとどきどきよりもちくちくと胸を痛める。

「……ふっ、う…」

とうとう決壊した涙を手で押さえた。察してくれたのか光秀は近くに置いてあった子供たちのバスタオルを勝手に拝借し、顔が見えないようにに被せてやる。嗚咽交じりに小さくありがとうと礼を述べれば、優しく「今はお泣きなさい」と光秀の言葉が返ってきた。

しばらくして泣き疲れてきた頃合に、バシャバシャとプールサイドの水溜りを勢いよく蹴る足音が聞こえてくる。それが徐々に近づいてくるものだから、サボっているのをコーチに叱られるのだろうかと恐々バスタオルから顔を覗かせた。ところがその姿を認識するよりも早く肩を掴まれる。

「そこの変態に何かされたのか、!?」
「また心外なことを言いますね。誰のせいでかわいそうに、が震えて泣いていると思っているのですか?政宗」

(政宗?)

驚きのあまり、泣き顔を隠しもせずにしばらく一ヶ月ぶりに見た彼の焦った顔を凝視してしまう。

「俺のせいだな…」

ぽつりと呟いた政宗の言葉にハッとなって、バスタオルの裾で涙を拭いながら俯いた。どう返事をしたらいいのやらまるで分からない。今更誤魔化して取り繕うこともできないし、かといって彼に冷たくすることなど到底出来ない。
耐え難い沈黙がしばし辺りを包んだ。子供たちのはしゃぐ声が遠くに聞こえる。

「なあ、。俺が初めてクロールを泳げるようになった日を覚えているか」

いつのまにか隣の光秀の気配が無くなったところで、徐に政宗は口を開いた。は記憶を巡らせて、思い出す。今ではクロールと呼んでもいいか分からないほどあっぷあっぷとした泳ぎだったが、確かに政宗は泳いだのだ。それもほんの5メートル、息継ぎも出来ないままに。今でこそ彼の得意分野だが、彼はこのクロールを泳ぐまで随分と時間がかかった。

「犬掻きもまともに出来ねえ、水を怖がってばかりの俺をお前は辛抱強く見守ってくれた。アンタはいつだってそうだ。告白の返事をいつまで経っても返せねえ、情けない俺をずっと待っていてくれた」

一度は絶望のどん底にわたしを突き落とした人が今更何を言いに来たのだろう?期待することを諦めたはずなのに、一縷の望みをかけたくなってしまう。

「待たせてすまなかった」
「ひっ…」

バスタオルごとぎゅうと抱きしめられては仰天し、小さな悲鳴を上げた。周りのことを忘れているのではないか?公衆の面前で大胆な行動に出た政宗に恥ずかしく、恨み言をいいたいが、自然と頬は赤くなる。これだから…惚れた弱みというやつは。

「アンタが好きだ、
「!!…うそ!」
「嘘じゃねえよ。こんなときにjokeなんざ野暮だろう?」

少し体を離して、茶目っ気たっぷりにウインクを送る政宗を唖然として見上げる。みるみるうちに別の意味で涙が再びこみ上げてきた。どれだけこの人はわたしの水分を奪っていくつもりなのか。

「ねえ、政宗…」
「ン?」
「クロール、見せてよ。彼女のためだけに」
「…お安い御用だ」

ねえ、
ようやく春が来たらしい。




(110501) end
随分と不器用な恋物語でした。実を言えばこの先の旅行編を書きたいがために二人の恋模様を書き出したのですが、いつの間にか長くなり、そして力尽きました(笑) ご愛読くださった方々には感謝を。

♪愛 think so,