挑戦状


番号を押す手が震えた。心臓がばくばくとうるさい、手汗が尋常じゃない。一度植えつけられた恐怖に打ち勝つには相当の覚悟が必要だった。あの政宗くんの表情が、眼差しが、今でも忘れられないんだ。

(大、大丈夫、大丈夫大丈夫、大丈夫大丈夫ダイジョウブだいじょうぶ)

何が大丈夫なのか自分でも分からない。むしろわたしは拒絶の言葉を想定していた。それでもこの友達というぬるま湯に浸かっている関係だけに満足できないわたしがいる。彼はきっとこのままでいたいと願っているのを分かって、踏み出すのはわたしのエゴだ。

プルルル、プルルル、プル ルッ

三回目のコールの途中で音は途切れた。携帯越しに彼の息遣いとノイズが聞こえる。

「も、もしもし?」

声も震えた。喉が緊張でカラカラになってかすれている。ごくりと生唾を飲み込んで、声を整えるために咳をひとつ。

「あー どうした」

政宗くんの低い声もいくらかかすれていた。いきなりどうしたと核心に触れられて、どう切り出そうかとは迷う。意味をなさない言葉を繰り返していると、政宗くんのクックと笑う声が聞こえた。わたしもつられて情けなく笑う。少しだけ緊張は和らいだ。

「あのね、政宗くん」
「Hurry up.俺は気が短いぜ?」
「いじわる」
「悪かったよ、ちゃんと聴く」

政宗くんはいじわるだ。わたしの答えをはぐらかすのがいつだって上手い。しかし茶化した割には神妙な声を出した。

「あの、ね。わたし、政宗くんのこと好きなんだ」
「…ああ」
「いつからかはあま りはっきり 分からない、けどね。きっと会ったとき から段々吸い込まれる ように政宗く んを好きになった」
?おまえいま」
「だから笑わない で真剣に答 えて欲しいの」

過ぎ去る景色はようやくピタリと焦点が合ったように静止した。婆娑羅高校前にあるジャンクフード店の前で政宗は携帯を握り締めたまま、驚いた表情でこちらを見ている。
さすがに途切れ途切れの呼吸だが、伊達に水泳部で肺活量を鍛えているわけではない。

「政宗くんが好きです。返事を聞かせてもらえ、ますか」

顔から火が出るほど恥ずかしい思いだった。まともに政宗くんと視線が合わせられずに、言葉は段々尻すぼみになる。電話越しは相手の表情が見えない分、まだ台詞を唱えるように言えたが面と向かい合うことは随分違う。相手の反応がリアルに分かる。

ドキ ドキ ドキ…

不自然な音を繰り返すわたしの心臓をぎゅうと手で押し付けた。政宗くんは何ともいえぬ顔で笑った。それは、優しさと切なさと悲しみが交じり合ったかのような。

「俺ものことは好きだ。ただそれがどこまでなのか自分でもさっぱり分からねえんだ…。ただおまえを失いたくはないと思う」
「それで十分付き合う理由にはならないの?」

政宗くんは困ったように笑った。彼は真剣にわたしのことを考えてくれて、途方にくれている。

「わたし待つよ。政宗くんが答えを出してくれるまで、わたし頑張る」
「…答えが出るかも分からねえよ」
「催促してやるから」
「! Ha,こいつァとんだ女に捕まったな」

政宗くんは額を押さえて背中を丸め、堪えるように笑う。

「いいぜ、覚悟しておくさ」

その自然な笑顔が何よりもわたしの胸を揺さぶるのだ。うん、やっぱりわたし、この人が好きだな。具体的なことは何一つ考えていないけれど、確かに前へ進めた気がした。


(101201)