「奥方殿が嫁ぎ早三年が経ち申した。未だお子があげられぬとはいかがなされるおつもりか」
「そればかりか近頃はとんと政宗様のお渡りも遠のいていると聞き及んでおります」
「いくら政略上の正室と言えど、役目を果たせぬ石女とあれば伊達家の為に側室も止むを得ない」
「しっ、奥方殿に聞こえますぞ」
廊下の奥から袿を翻した、伊達家十七代目当主藤次郎政宗の御正室は傍目からも分かるほど苛立っていた。無論彼らの噂話は耳に入ってはいない。しかし似た類のものならばここ一年ほどずっと聞いてきた。
は神妙に顔を伏せて跪く家臣たちを目に留めて「殿様はどこぞにいらっしゃる」と尋ねた。まさか声をかけられると思わなかったものだから、彼らは咄嗟に言葉を詰まらせたが、すぐに「鍛錬場かと」と申し上げる。
嘘だ、とは彼らの声色から悟った。どうやら彼はこの昼間からいつものように、遊女(あそびめ)相手に鍛錬をしているようだ。自然ぎりりと扇を持つ手に力が篭った。
「政宗様の行動は目に余る」
北の対屋にある自室へ戻ったは怒り覚めやらずと言った調子で、畳に扇を打ち据えた。それを咎める乳母の声にも耳を傾けず、ひたすらに思案した。何故に政宗様は私を遠ざけるのか、と。は両親から蝶よ華よと育てられ、深窓の姫君と持て囃され、何一つ挫折というものを味わったことがない。奥州の竜と評された夫と得て順風満帆と思えたのに、ここまで蔑ろにされては屈辱という他ない。
とはいえ子が出来ぬというのは死活問題だ。側室を囲、産ませた子は養子として正室が引き取るという苦肉の策はいくらでもある話だが、自身の血が流れていない嫡男など虫唾が走る。
「様いかがでしょう、殿方のお好きな名刀や珍味等を取り寄せては?」
「私に餌で男を釣れというのか」
それは彼女の矜持が許さない行為であった。しかしそうなればいよいよ八方塞になる。因習と唾棄すべき妻問い婚が横行しているために女はひたすら待つ身であった。どうせ今宵もお渡りなどない。
「そうよ、間違っているんだわ」
「……姫様?」
「こちらから嗾(けしか)ければよい話ではありませぬか」
氷解したようにぽんと膝を叩き、は立ち上がった。
「どこに行かれます」
「知れたこと。我が夫へ会いに行く」
乳母の仰天した顔を満足そうには眺めて、善は急げと曲がりくねった廊下に出た。女中たちがお止めせねばと進言するもは歯牙にもかけない。夜半の寒さに吐く息は白く、弾んでいた。
まだ政宗の執務室は灯りが点っている。これ幸いと側に控える小姓に断りも告げず、襖を押し開けた。
「なんだ?騒々しい…」
政宗は彼お気に入りの水玉模様の打掛を背に羽織り、墨を磨っている様子だった。まさか正室が自分を訪れに来たなど夢にも思わない。粗相の多い小姓かと振り向けば、予想通り左目が見開かれた。
「余りにも遅いので馳せ参じましてよ」
扇をひたと彼に突きつけて、見下ろす。今までの鬱憤を晴らすようにして清々と放たれた言葉にさしもの政宗も驚いていたが、そこは手練手管を心得た伊達男、次の瞬間には唇をにいと三日月に歪ませる。
「……クッ、とんだ女を嫁に向かえちまったようだな。いいぜ、来い」
これにてようやく夫婦の溝が埋まり、四年目にして立派な男児を授かったという。
うつろふは常と言へ、貴方を呼ばふ
(120131) 四周年ありがとう
拙宅座右の銘「浮気は文化」をテーマに書きました