かつんかつん、歩く度にイタリアの町並みを噛み締めた。観光旅行のパンフレットを片手に一人旅とはいいものだ。言葉はたどたどしいものの束縛されることのない、この自由が心地よい。深く息を吸って、どこから回ろうかと再び目を落としたときだ。
乱暴にそれは後ろから伸びてきた手によって取り上げられてしまった。え、…?混乱する頭で振り返ると、この町並みに溶け合っていない黒ずくめの男が山のように立っている。体格のよい外国人である。服装の上からでもその引き締まった体つきが手に取るようにわかった。逆にそれは貧弱なわたしが抵抗しても、有無言わせぬ力を持っていることを表している。

「あ、あの、返し…mi scusi…」

思わず日本語が先に出たが、必死で捻り出したイタリア語をつぶやく。男は目つきがたいそう悪く、じろりとわたしを睨む。それに飛び上がるほど驚いて身じろぐ。男はしばらくわたしを値踏みするように見た後、パンフレットに視線を移し、さして興味なさげに捨てた。そしてその長い足で用なしだとでもいいたげに踏む。
いきなりの暴挙にわたしは怒るよりも恐怖が勝った。ともかくこの男の人と関わらないほうがよさそうだ。瞬時に判断し、回れ右をして走る。

「待て」

いつもの聞きなれた日本語とともに手首を捕まれた。そのまま引き寄せられて男と再び向かい合う形になる。な、なんで、この人イタリア人だよね…?いま普通に日本語を喋ったぞ?ますますこの男が何者なのかを図りかねた。

「おまえの一日を俺によこせ」
「…は、は?えっと、…」

なんと答えてよいものか。正直いいえと答えたいが、はいと言わなければ殺すぞと言わんばかりの威圧感だ。戸惑い俯くとそのまま勢いよく手を引っ張られる。ずんずんとわたしの大股分くらいを一歩とするので半ば引きずられているような状態だ。

「ちょっ、待ってください!」
「日が暮れる」

男は手短にそう言うと、近くに停めてあった黒塗りのリムジンの前に立つ。運転手と思わしき人物が丁寧にドアを開いた。それに礼を言わずに男はわたしを中へ押しやる。さすがに車へ連れ込まれるのは恐ろしい。

「離してください、もう、警察を呼びますよ!!」

男の手を払いのけて言い張れば、何が男のツボに入ったのか突然笑い出した。いままで口数少なく、強面の男が笑ったことにわたしはますます怖さを感じた。同時に状況の主導権を握る男を憎憎しく思う。

「マフィアが警察を恐れると思うか」
「…マフィア?」
「面白い女だ。命の保障はしてやる、安心しろ」

いやまったく安心できないです。そういいつつも、よくよく見れば男の腰元にはきらりと光る銃身があった。これでイタリアンマフィアと言われればむしろなぜ思いつかなかったのかというくらい納得できる。

「俺の名はザンザス」

至極誇らしげに名乗った男はわたしの隣を陣取り、前の席へ足を伸ばす。足癖の悪い男だ。すっかり呑まれてしまったわたしは彼の隣で身を縮めていた。旅行へ来る際にいろいろと備えていたつもりだが、このような事態に陥るなど誰が予想出来たか。

「ザンザスさん、わ、わたしはどこへ連れていかれるのでしょう…?」
「……」

あれ、聞こえてないのかな。こちらへ目も向けずザンザスさんは過ぎ行く町並みを眺めていた。その横顔があまりにも美しく見とれてしまう。怖い印象が強かったが、ザンザスさんはやはり外国人なだけあってとても綺麗な容姿をお持ちでいらっしゃる。
しかし無視されるのは傷ついた。勇気を振り絞って再び声をかけてみる。

「あのっ」
「…いいから黙ってついて来い」
「はい」

声に苛立ちが含まれていた。それっきり車内は静かで、目的地にたどり着くまで重い沈黙が支配する。
着いたのはベルサイユ宮殿、と言えばあまりにも大きすぎた比喩だが、それほどまでの屋敷だった。門から家までの距離が長すぎる。男に再び引っ張られるようにして玄関に足を踏み入れれば、メイドさんたちが両立しておじぎをする。ひえええ、これがうわさの上流階級か。
きょろきょろしながらザンザスさんの後をついていけば、執事と思われる男性がザンザスさんを迎えた。何事か二人で話し、それからわたしを見遣る。

「こちらへどうぞ」

ザンザスさんとは別に案内された。もちろん拒否権はとうになく、従うままについていく。豪華ホテルの一室のような部屋へ案内され、テーブルの上にはこれでもかと衣装が積まれていた。

「どうぞそちらからお選び下さい。まもなく式典も始まります故」
「式典?」
「おや、ザンザス様から聞いていらっしゃらないのですか。今日は彼の誕生を祝うボンゴレ本部主催の式典なのですよ」

まったく聞いていない。そればかりか、彼が誕生日ということすら初耳である。それもそうだ。出会ってまだ数時間しか経っていない。
ともかくそこから無難そうなドレスを選び、部屋を出た。エントランスホールと思わしき間のソファでふんぞり返って座るザンザスさんを見つける。

「色気がねえ」
「…そ、それは悪うございましたね。どうせならもっとぼんきゅっぼんなお姉さんを選べばよかったじゃないですか。自分で選んでおきながら文句を言わないでください」
「一丁前に言うじゃねえか」

にやりと笑って、ザンザスさんはわたしの手を取る。さすが腐ってもラテン系の男、レディーをエスコートする姿勢はあるらしい。

「ふん、そうだな…」

ザンザスさんはわたしを見て少しだけ表情を和らげた。

「少なくともおまえなら退屈はしなくてすみそうだ」

頬に落とされる唇の感触に、わたしは固まってしまう。それがわかったのか、ザンザスさんは再びぷはっと笑った。今度は恐怖よりも怒りよりも恥ずかしさが勝ったわたしは、やっぱり何も言い返せない。ザンザスさんはずるいお人だ。

「誕生日、おめでとうございます」


(101010) for.君に捧ぐ、