君は天から堕ちて来た


やだ、降りそう。

暗雲と立ち込める空模様には眉根を顰めた。ここのところ夏も過ぎる頃合だというのに雨や雷の日が多い。雷は夏が季語というだけに、多いのも納得するが…それにしても梅雨に逆戻りしたかのようにひどい。
雷神様でも泣いているのかしら。ちょっとロマンチックめいて想像してもこの雨には嫌気が差す。雨が嫌いというわけではない。室内からしとしとと降るには風流すら感じられるものだ。だが登校中に重い荷物を背負っているときは恨めしいというしかない。鞄を守るように歩みは自然と遅くなるし、足元も水溜りに入らぬよう細心の注意を払わなければならない。傘の開閉だって面倒くさいし、何より邪魔だし、数えればキリがないほどのデメリット。
それにしたって、いつになったらこの傘は進化するのかしら?と思わずにはいられない。時代劇を見てもほとんど代わり映えしないのはどうかと思う。せめてバリアー的な何かが貼られていれば、それも跳躍しすぎだが。

またどうでもいいことを。
何もないとあれやこれや関係のないところまで想像してしまうのが常だ。ふるふると頭から思考を追いやっては鞄を持ち直す。帰り道ほど疲れてしまうな、とため息をついたときだった。
視界に黒いものが入った。びしゃん、それは叩きつけられて目の前に落ちてきた。水がの制服を濡らす。黒い塊、細長いから蛇かと身構える。

「う、わ」

思わず小さな悲鳴が出て、独り言の恥ずかしさに口を紡ぐ。蛇にしては、あまりに大きい。黒々として、鱗もしっかりとあり、頭の方には鬣もある。よく見れば小さな手らしきものも確認できた。おや?これはもしや…そっと頭部の方に近寄ってみる。

(綺麗…)

その生き物はひどく美しかった。閉じられた瞳の睫毛はヒトより長いし、鱗は艶やかで神々しさすら感じる。雨に濡れて光がより増していた。間違いない。これは夢や空想でもなく、本物の竜だ。
興奮で手が震える。人類史上初めてわたしが竜を発見できたのではないか。いや、中国なら昔からその手の話はつとに聞いている。だけど、もしこれを世間に公表したらわたしは紛れもなくその第一人者だ。ただしこれはわたしの手に余るのも事実だ。どうしよう。一人で運べるわけがない。ああ、そんなことを考えている場合ではないのよ!!
改めてじっとこの竜が竜たるかを眺める。そこで初めてこの竜は傷ついていることに気づいた。右目にも古傷が伺えるが、それよりも首下、といっていいのか、もしや胴?に深い傷が見られる。水溜りに黒い液体が注がれている。慌ててわたしは抱き起こそうと手を伸ばした。

「いたっ」

ぱちりと静電気のように手が痺れた。不思議なことに竜の傷はみるみるうちに塞がれていく。わたし、何かした?驚きのあまり目をしばたいていると、竜は微かに左目を開いた。雨のせいか、泣いているようにも見える。潤んだ金色の瞳には胸を打たれた。守ってあげないと。そう思われた。
傘を投げ捨てて竜をもう一度抱き起こした。身長が自分と同じくらいあるその胴を抱え込み、ひたすらに人通りの少ない道を選んで走る。途中奇異の目がを興味深げに見たが、その竜は微動だにしなかったのでよくできた玩具か何かの類と思ったらしい。さして声もかけられなかったし、近所のおばさんに尋ねられてもそう言い張った。

家に帰るとすぐに風呂場へ直行する。まず竜の泥混じりに濡れた体を洗い流してやった。綺麗なタオルで拭いてやれば鱗はますます光を帯びた。本当に艶のある綺麗な黒龍である。竜にしては小さいなと思いつつ、逆にそれが有難かった。
そして自室のベッドにそっと寝かしてやる。呼吸はしているらしい。規則正しく胴が脈打つように上下する。は優しく掛け布団をかけてやった。

「君はどこから来たのかな。やっぱり空?上から落ちてきたものね」

敷布団に手をついて竜の顔を覗き見る。その瞬間パッと瞳が完全に開き、こちらを見た。


(100627)