日常の破壊


五時間目、それは最も眠い授業だ。腹も満たされ、午後のうららかな日差し、寝るなというのが無理な話である。案の定、担任の子守唄のような声にうとうとしていただが、突如開いたドアに目が覚めた。

「ちわー」
「長曾我部…おまえまた遅刻か」

入ってきたのは長曾我部元親くん。いっつも気だるげで遅刻常習犯の男の子。彼の席はわたしの後ろなので何かと面倒も焼いている。元親くんの隣の席はないので必然的にわたしへ押し付けられているのだ。
元親くんは「よっ」とわたしに挨拶するとそのまま机に突っ伏した。教科書すら出さずいきなりこれとは恐れ入る。さすがのわたしもそこまでは出来ない。

チャイムが鳴って授業が終わっても元親くんは起き上がらなかった。まず終わったことにすら気づいていないようだ。慌てて号令なので揺すり起こしてやる。ところが手が触れた瞬間に元親くんがバッとわたしの手を掴んだ。
わたしを見上げた目があまりにもぎらついていたからびっくりする。すぐにわたしと気づいて表情を和らげたが。なんだ、寝ぼけていただけか。

「わりぃ、思いっきり強く掴んじまったな」
「まったく…元親くんの力は強いんだから手加減してよね」
「容赦ねえなァ」

元親くんはそういいつつバッグから何事かを出して、わたしの額にべちりと押し付ける。そのまま元親くんから離れていった物を受け取ると、シップだった。確かに掴まれたところはくっきりと赤く腫れている。うーん、恐るべし男の子の力。というか元親くんはいつもそういうものを持ち歩いているのか。

「ありがと」

そういうと、また机に突っ伏している元親くんは力なく手を振った。いいってことよ、大方そんな返事だろう。こいつ…また寝る気か。

わたしも席に居なおしたときだった。廊下が騒がしいことに今更ながら気がつく。ドアからちらりと見えたのは人だかりだ。それも男ばっかり。あまりにも異様な光景だったからじっと見ていたのがばれたのだろう、クラスの女の子が近寄ってきた。

「やっぱり気になるよね、アレ」
「誰か有名人でも来てるの?」
「…うーん、似たようなものかもしれないけど。隣のクラスですっごくかわいい女の子がいてね。あの中心地にいるはずよ」
「そ、それは、なんとまあ」
「もともとかわいいなって思ってたけどあそこまでもてるだなんて…ちょっと不思議よね」
「フェロモンでも活性化したのかな」
「あー」

なきにしにもあらずといった顔を女の子はする。何にせよあそこまでちやほやされるとは羨ましい限りだ。
人垣がわずかにずれてその子が一瞬だけ見えた。視線はこちらになかったけれど、横顔だけでも十分かわいい子だった。

(……え?)

ただその子の背後にもやっとした黒い霧さえ見えなかればわたしはただ素直にそう思っていただけだろう。他の人には見えていないに違いない。だってあれは、妖怪が纏っている妖気、そのものに似ていたからだ。
妖怪が見えるわたしはなんとなくそれが妖気だと長年の経験から知っていた。なぜなら妖怪に触れるとあの黒い霧が雲散して、妖怪とともに消えていくからだ。そして妖怪がわたしを襲うときに決まってその黒い霧がわたしへ向かってくる。

(あの子、絶対に何かある)

ただ今は人だかりのせいで近づくことは不可能だ。様子を見て、彼女に近づいてみようとは思った。ただ引っかかるのはその黒い霧がいつも見る妖気よりも数倍濃いことだ。手遅れにならないといいけど…不安が過ぎった。


(100717)