潜んでいる闇
突然のぞわりと全身の毛が逆立つ感覚に襲われた。すっかり熱中していた目の前のプラモデルから目を離して、窓の外を見る。日は既にあの山へ入ろうとしていた。咄嗟にまずいと感じる。幸い先ほどから保険医は席を外しているが、目の前には危険視していた元親がいた。このままでは自分がただの人間ではないことを悟られてしまう。慌ててプラモデルを引っつかんで、ベッドから降りた。
「俺、そろそろの迎えに行ってくるわ」
だいたいあの女こんな時間まで俺を放っておくとはいい度胸をしている。会ったらとっちめてやらねば。夜になればあいつは俺に敵わないのだから。ところが元親まで後ろからついてきた。
「いけね、もうこんな時間か。結局俺も授業に出なかったな」
「な、なんでアンタついてくる!」
「寂しいこと言うなよ。別に俺も一緒に帰ったっていいだろ?」
こっちは都合がわりィんだよ!とは言えずに言葉を詰まらせる。ぞわりぞわり、確実に夜は近づいていた。
***
いけない、もうこんな時間。腕時計を見ながらは廊下を走っていた。すっかり委員会で遅くなってしまった。日も着実に短くなり、そろそろ政宗が大きくなってしまう時間だ。そうなれば、アレと一緒に帰らねばならなくなり、女子からの羨望と嫉妬の視線を一手に引き受けることになる。
(本当、世の中不公平よね。顔だけはいいんだから)
ともかく彼の存在を忘れていたといえば怒る姿が目に浮かぶ。気が重いながらも保健室のドアを開いたときだった。ぶわっと空気、いや妖気に気圧される。肌がビリビリと痛みを感じて、薄く広がる黒い煙の中必死に目を凝らした。
どうして保健室に、いや政宗ではないだろう。彼はまだこれほどの妖気を出すには及ばない。いったいどうしてこうなっているのか不安が過ぎる。
「…政宗?」
一歩奥へ進んだときだ。誰かの視線が射抜くようにわたしを突き刺した。それだけで足が竦んでしまう。そのままは床に座り込んでしまった。
「うっ…」
だが苦しそうな政宗の声が聞こえてハッと我に返る。強い妖怪が政宗を襲っているのではないかと考えた。それならばこの妖気も妖怪のものと思えば頷ける。こないだだって学校に妖怪が出没したのだ。
足になんとか力を入れて声のする方へ駆け出した。いっそう妖気の濃い、塊のようなものが見える。きっとそれに違いないと、怯える自分を叱咤して彼の妖怪と思わしきものへ手を近づける。かつてないほど手に力が集まる気がした。それだけ相手はとてつもなく大きな妖気を孕んでいるということだ。
自分の手から信じられないほどの光が放たれて、妖気はパッと雲散した。がたんと椅子にぶつかり誰かが倒れた。
「……元親、くん?」
その倒れた後姿は見間違うことなく元親くんだった。どうして?どうして元親くんが倒れているの。行き場の無くした手をそのまま元親くんに触れようとしたときだ。
「そいつから離れ…ろ」
息苦しそうな政宗の声が背後からする。見れば肩膝をついて、喉に手をやり呼吸を整える政宗がいた。姿はすっかり大きくなってしまい、首にはくっきりと指まで描かれた痣が残っている。顔にはうっすらと鱗の跡が見えたことから竜化しようとしたのだろう。妖気が乏しくそれも叶わなかったらしい。
しかし元親くんから離れろとはどういうことか。困惑して二人を交互に見やると、元親くんは呻き声をあげてゆっくりと体を起こした。
「!!」
元親くんはいつもの元親くんじゃなかった。白くふさふさした髪の中から小さい角が何本か生え、いつもつけていた左目の眼帯はさきほどの衝撃に耐えかねたのか剥がれ、右目と色がまったく違う金色の左目が覗いていた。その容貌はとても人間と呼ぶには相応しくない。
どういうことだろう。妖怪に取り憑かれたと考えたが彼は敵を見るような目をしている。思わず後ずさった。それを好機と見たのか元親くんは身を翻して保健室から出て行った。それも窓からという慌てぶりだ。
残されたわたしと政宗はただただそれを呆然と見送ることしか出来なかった。
(100731)