理不尽な暴挙
間違いなくこの人はわたしに害を与えようとする者だ。ほぼ反射的に抱えたものを相手に投げつけ、出口へと走った。ドア付近でやや振り返ると、男はさきほどと同じ構えをしている。それなのに床には無残にもプリントや鞄たちが切り刻まれていた。たったひとつのモーションであれをやってのけたのだ。彼の間合いに入り込めば忽(たちま)ち…ずたずたになるだろう。それだけは確信できるほど神速の腕前を持っている。
慌てて廊下に出て駆け出すと、瞬時に男が目の前にいた。え、な、何で?カチッと刀が鞘に納まる音がする。そして弾けたように後ろにある窓ガラスが一斉に割れた。
背筋が凍るほどぞっとする。彼にとってわたしの命は造作も無く一瞬にして奪うことが出来る。
(どうしたらいい?話して分かってくれるような人物にも見えない、だからと言ってすぐに背を向けたら、ああ、こうしている間に!)
ぐるぐる思考が駆け巡った。男が低めの体勢からちらりとわたしを見る。カチッと再び音がした。
(終わった)
次に来るであろう苦痛に耐えるようにはぎゅっと瞳を閉じる。ところがその代わりに聞こえたのは、キリキリとした金属音だった。ハッとして顔をあげると、誰かの広い背中がわたしを守るようにして立ちふさがっている。
「さっさと逃げろ!」
「もと、ちかくん…?」
間違いなく元親くんの背中だった。いつもとうってかわって、着物に身を包む元親くんは目に見えない剣戟を必死に、刀ひとつで押さえている。全ての剣戟に耐え、刀に取り付こうとする妖気を振り払い、元親くんは男を見据えた。
「誰だ、貴様は。なぜ私の前に立ちはだかる」
「そんなことはどうでもいいだろ」
「……」
その返答にムッとしたのか、男は問答無用で刀に手をかけた。一瞬のうちに再び元親くんへと剣戟が襲う。元親くんと手にある刀はそれによく耐えた。
「なるほど、かの源頼光が神堕ちの要因を作った酒呑童子を切った際に使われたとする童子切か。鬼の一族である貴様が持っているとは皮肉なものだ」
「べらべらと意外にしゃべるやつだな」
「…そのような名刀も、半妖の手に渡ったとなればさぞや質も落ちるだろう」
ピリッと空気が痛々しいほどに変わったのが分かる。元親くんから、男に勝るとも劣らない禍々しい妖気が一気に放出された。
「…しろ」
「?」
「今の言葉、訂正しやがれ!」
妖気が男を目指して一気に膨れ上がる。凄まじい金属音がそこらかしこで始まる。は逃げろと言われていたが、とても今の元親を置いて立ち去ることなど出来なかった。第一足が竦んで動けない。
「!?」
後方でさらに自身の名前を呼ぶ声がした。慶次に、それから慶次に抱えられている政宗だ。まだ日は沈みきっていないため、政宗のナリは小さい。力いっぱい政宗は離すように暴れて、珍しく焦ってわたしの胸に飛び込んできた。
「おまえ、怪我はないか?何かされてないか?」
「わたしは大丈夫だけど…それより元親くんが…」
正直余りにも濃密な妖気は視覚化されているため、彼らの姿すら見えない状態だ。政宗は思いっきり顔を顰めて、制止する暇すら与えずにそちらへ飛び込んでいった。が押し止めようと立ち上がるのを慶次が押さえる。
「目的はちゃんだ、行かない方が懸命だよ」
今来たばかりだというのに慶次は全てを把握しているような言い方だった。相変わらずの情報通にもほどがある男だ。いつかとっちめて全てを吐かせてやろうと思ったが、今はそれどころではない。
妖気の渦に目を向けると、その中でわずかな光が灯った。おそらくその光は政宗だろう。それが徐々に拡大していき途中で一気に妖気が消し飛ぶ。
「貴様も…貴様も私の邪魔をする気か…何故だ!!」
「理由はいらねえ、あんたをぶっつぶすだけさ」
政宗は今や完全に夜の姿となっていた。そればかりか体は発光し、皮膚からは鱗の跡が滲み出ている。その後ろで元親くんは刀を支えに膝を突き、肩で呼吸をしていた。着物は刀で切り刻まれ、出血がひどい。
「元親くんっ!」
「…馬鹿やろ、さっさと逃げろって言ったじゃねえか…っ!」
息も絶え絶えにの無事な姿を見て、わずかに元親は微笑む。そして最後の力が抜けて倒れた。元親くんの傷ついた体を抱えて、は泣きそうになりながら傍の慶次に尋ねた。
「どうして、どうして元親くんがこんな目に遭うの…どうしてわたしが狙われているの?」
「ちゃん…」
あまりにも身に覚えの無いことだった。自分の無力さに腹が立って仕方ない。自分のせいで元親くんが傷ついたことが許せない。自然と元親を抱える手に力が入った。
(100814)