交わるはずもない
金色の瞳が離さないとでもいうようにじっとを見据えていた。も魔力に取り憑かれたように目をそらせないでいた。お互い相手を探るようにしばらく見つめ合う。
そして竜は前触れもなくぶるっと体を震わせた。鬣は逆立ち、鱗はぞわぞわとひしめき合っているよう。思わずは見てはいけないものを見ているようで視線を床に落としてしまった。そのたった数秒。
「てめーが俺を拾ったのか?」
低い男の声が鋭く尋ねた。顔を上げれば先ほどまでいた竜は恍惚に姿を消している。代わりにいる男もまたひどく整った顔立ちをしていた。葬式のような真っ黒に染められた着流しに、襟の隙間から覗く鍛え抜かれた体。気づかぬうちにはごくりと生唾を呑んだ。
「俺が質問をしているんだが?」
苛立ったようにトントンとベッドの脇に置かれた机を叩く。集中しろ、と言っているかのよう。
「あ、はい…」
「そうか」
男のを見る目は明らかに不審を込めていた。何か腑に落ちないといった様子が窺える。
しかし普通に尋ねてくるものだからこちらはどうしたらいいのか分からない。軽く混乱状態だった。やはりこの男、先ほどの竜のようだ。
「俺はな、毒を盛られて斬りつけられたはずなんだが」
そういえば、と思い出す。彼を発見したとき傷つき、ぐったりとしていたではないか。毒を盛られた、とは初耳だが物騒な話だ。
ただそこまでされるとはこの竜、もしや悪い類なのだろうか。少し警戒しつつもどう切り出せばいいか迷っていた。
「…Hum、まあ人間にしてはよく俺を恐れずに運べたな」
「あの、あなたは?」
「俺か?聞いてたまげるなよ」
悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべる。
「俺は龍神だ」
龍神、つまり神ってこと?あの雨乞いをするときに頼む神様?
驚いて目を丸くする。竜に会うだけでも奇跡なのにその上神様など。逆に現実味があまりにもなくてふわふわと宙に浮いている気分になった。
「八百万のひとつだが結構格上だぜ、あんたluckyだな」
「えっ本当に神様?」
「なんなら祟ってみせようか」
「ご遠慮致します」
「ククッ、仮にも恩人相手にするわけないだろ」
ジョークだ、とさも愉快に笑う。この人、絶対合わない。は苦い顔をした。
龍神はそれから急に笑いを止めて、に近寄るよう手招きする。訝しげには歩み寄ると強い力で引っ張られた。
「Thanks.」
ちう、ほっぺに柔らかいものが押し当てられる。何が起きたのかとは放心して頬を押さえた。キス、されたのだ。気づいたときにはカッと体中の熱が顔に集まるような気分がした。
「初心なんだな」
「や、止めてください」
「なんでだ?女はこうすればたいてい喜ぶんだが」
本当に分からないといった顔をするものだから、は呆れかえってしまった。確かにこんなかっこいい男にキスをされて喜ばない女はいない。実際に少しときめきもしたが、それが今となっては悔しかった。
キスひとつで喜ぶよお手軽な女と見られるのは心外だ。なにより初対面なのにこの仕打ち、神様とはいえ無礼にもほどがある。自分の顔が武器と分かっているこの男が不快でたまらなくなった。
「あの、お礼などいらないので、どうぞお引き取りください!」
「それじゃ俺の気が済まねぇ」
男の手がごく自然に腰へ回る。これは危険だ。は咄嗟に手を出して相手を遠ざけた。
「お、お引き取りを!」
勇気を振り絞って精一杯の拒絶を示す。しばし重い沈黙があってから男は「……チッ」と舌打ちした。ふてくされたように緩慢な動きで窓辺に歩みを進める。
「お望み通り、金輪際おまえの前には現れないから安心しろよ」
金色の瞳は凍りついたように冷たかった。それが怖くてまた視線から逃れようとはそっぽ向く。
次の瞬間強い風が部屋を吹き抜けた。夜の帳が降りてきた雨の中を竜は真っ直ぐ駆け上がる。窓からそれを見送っては安堵の息をもらす。
「どうか祟られませんように」
ただひとつそれだけが心配だった。
(100629)