人は多ければよきかな
「それじゃあ、行くか」
元親と同じようにして窓の外を望む。まさかこのまま無謀にも飛び降りる気ではないかと疑うように政宗見た。ところが政宗の表情を伺おうとして覗き込んだ顔にはぎょっとする。
パキパキと音を立てて政宗の皮膚は微妙に変化を遂げていた。皮膚はまるで新芽が生えるようにして鱗を帯びてきている。それが竜へなるための手前だとは知っていた。
「どくがんりゅう」
まさに飛翔せんとしたときに、凛とした張りのある声が頭に直接響く。角や鬣まで伸びていた政宗は急速に人間へと戻っていった。驚きのあまり集中が途切れたらしい。もで目を見開いて驚愕した。
人が目の前に立っているのだ。つまり宙に浮いていることになる。穏やかな笑みを湛えてゆったりとした仕草で一歩近づいた男に政宗は「何のようだ、軍神」とのたまった。油断したのは一瞬で、すぐに頭を切り替えたようだ。いつもの調子を取り戻している。
「いえ、そちらのかわいらしいおじょうさんにしょようがありまして」
「わたしですか?」
「こうしてあいまみえるのははじめてですね」
「…こいつは上杉謙信。宗哲に毘沙門天の加護を与え、この地で織田を討ったときの功績から軍神と呼ばれている」
政宗の苦々しげな説明にはますます驚いた。相変わらずこの竜は隠し事が多い。ここが織田との戦があった場所など初耳である。祖父、いや一族さえ知っているか怪しい情報を政宗は有しているようだ。
「ふふ。わたしとそうてつはおだにふうをほどこし、かんしするためにここをとわのねじろとしたのです」
「第六天魔王はいつ地獄の淵から蘇るとも知らぬ存在っていうからねえ」
「おや…いたのですかけいじ」
「久しぶり、謙信。酒を酌み交わしたいところだけど、出雲の楽しみにしておこうか」
の横からひょっこりと慶次が顔を出す。おかげで窓際は三人、ただでさえ慶次は大柄なのでぎゅうぎゅうだ。
「そうするとしましょう。かすが」
「ハッ…」
一瞬にして謙信の前に美しい女性が現れる。全てを心得たようにかすがは謙信の旨を伝えた。
「豊臣が勢力拡大、そしてよからぬ企てを目論んでいることはこちらも掴んでいる。そのため謙信様は万が一をお考え此度の出雲行きは取りやめ、留まることになされた。名代としてわたしがおまえたちに付き添う」
「つまりはお前の面倒を見ろと?」
「たのみましたよ。どくがんりゅう」
有無を言わせぬ威圧を込めて謙信は微笑む。
「軍神に借りを作って置くのも悪くはねえな」
そう言って今度こそ政宗は竜へと姿を変えた。相変わらず黒曜のように美しい毛並みを持つ鬣だ。さわさわと撫でれば政宗は気持ちよさそうに金色の瞳を細める。そこへ無遠慮に慶次は乗り込んだ。続いてかすがもその後ろへ飛び乗る。
ゆらゆらと揺れ動く竜の背中にどう乗ろうかとタイミングがつかめずに、だけが乗れずにいた。
「…つかまれ」
「あ、ありがとうございます」
かすががぶっきらぼうに手を差し伸べる。
「またまた、かすがちゃんはもう少し笑顔でいれば怖がられないのに」
「うるさいぞ慶次!貴様は物見遊山のつもりだろうが、わたしは謙信様と離れ離れになるのだぞ!この苦しみがおまえにわかるか。だいたいお前が来ると…」
語気を荒くしてかすがは慶次に詰め寄る。大人しいクールビューティのお姉さんかと思ったが、どうやら謙信の前では恋する乙女のようだ。それはそれで可愛らしい人だなあ、とは思って眺めている。
一方謙信は政宗にかすがの同行の礼を述べていた。
「一人か二人増えたところで変わりやしねえよ」
「…ずいぶんとまるくなったようす」
「ああ?」
以前と比べ、政宗はかすがを前にしてこれといった反応が薄い。そればかりか、おそらく謙信のみ気づいていたことがある。政宗はを無意識に視線で追っている。常に気をかけている。それはまるで−
「さすがはそうてつのまつえいといったところでしょうか」
「何を訳のわからねーことを言ってやがる。もう行くぞ」
途端に政宗は急激に上昇した。女性陣の悲鳴が上がる。無理もない、何も心構えがなかったのだから。この後こってりに責められる政宗の姿を思い浮かべ、謙信はひとりでに笑ったのであった。
(101005)