ただ従うのみ
パチパチと松明の火が宵闇を仄かに照らす。石畳に降り立った身軽な男は、そのままずかずかと女を抱えたまま主の部屋を目指した。
「大将?入るよ」
「……うむ」
襖の前で律儀に片膝付いて尋ねれば、やや遅れて主の声が降りた。こざっぱりとした部屋の中央で、丹念に槍を手入れする主の横顔はどこか沈んでいる。彼が敬愛する師匠が原因不明の症状に陥り、床に伏せてひと月。主は代理として残された家臣団を纏め上げているものの、ふとしたときに思い出してしまうらしい。
「また辛気臭い顔しちゃって、真田の大将」
「茶化すな佐助。それよりも伊達の偵察はどうであった」
「それがさー」
苦笑いしながら佐助は床の上にごろんと女を寝かす。初めてこちらを向いた真田幸村はいつも以上に目を丸くして言葉を失った。
「屋敷には伊達の旦那がお留守でね?片倉の旦那も取り込み中みたいで、おまけに黄昏時。絶好の機会に竜の姫さんは無防備、どう見ても攫ってくれって言っているようなもんだろ」
長々と言い訳するように、真田の実質副将を務める猿飛佐助は事の顛末話す。彼は神使であるものの、鴉天狗という本来ならば妖怪の分にいた男だった。故に黄昏時(逢魔時)は力を増す性質を持ち、伊達家の結界を一時的に破ることに成功した。
「竜の姫とは、政宗殿が共に連れてきた巫女殿か」
「そうそう。俺様はおそらくこの人間こそが、石田三成が探していた女だと踏んでいるんだよね」
「…なんと!それは誠か佐助!!」
「おそらく間違いはない。俺様の部下に探らせたところ、姫さんの名前、だってさ」
「なるほど、かねて伺っていた名前と寸分違わぬ」
「ま、これで石田三成との盟約条件は果たせるってわけだ。問題はこの子…どうやら伊達の旦那に見初められているってところ」
「みみみ見初め!?」
途端に幸村の精悍な顔つきが、真っ赤に染まる。色事に疎いところがこの主の欠点のひとつだ、佐助はやれやれとため息をつく。
「早く段取りを決めないとすぐにも伊達は敵に回るよ」
「……ならば、早急に石田殿に使いを」
「なあ、大将。アンタそれでいいのか。豊臣に組することになるんだぜ」
「某は豊臣秀吉に下るわけではござらん。主を慕う石田殿を見込み、差し出がましいが盟友として申し出るまで。この同盟なればお館様も…」
決意を拳に表すように、強く握る幸村を見て佐助はそれ以上何も言えなくなった。幸村がそう思っても、世間はそう取らない。だが判断をするのは幸村で、自分はただ従うのみである。
(間違えるなよ、真田の旦那)
佐助は深刻な面持ちで横たわる女を見下ろしたのだった。
(110629)