悪い子はお仕置きだよね


(なんだか、あたたか い …?)

くすぐるような柔らかい毛触り、無意識に頬ずりすればびくりと震えたような感覚。その動きで、はじき返されるようにはうっすらと瞳を開けた。まだ覚めやらぬ視界でぼんやりと辺りを見つめる。
じっとこちらを困った風に眉尻を下げて見つめる顔があった。

「わんちゃん…?」

と、呼ぶには大きすぎる体躯をしている。白くふさふさとした毛並みにわたしの体は横たわっていたようで、まん丸としたかわいい瞳に優しく微笑まれる。近づいてきた頭をよしよしと撫でれば気持ちよさそうに目を細めた。
どうやらまだ夢の中のようだ。

「お目覚めみたいだねー」

そう思った直後に上から文字通り降ってくるように声がする。ぶらりと眼前に現れた逆さの生首に思わず、ぎゃあ、と女の子らしからぬ悲鳴が出た。ファンシーな次はホラーかと、脈絡なしの展開に早く目が覚めればいいのにとは怯える。

「あらら、驚かせちゃった?」
「当たり前だろう」

すとんと生首が地面に降り立った。あれ、体がついている。おまけに背からは烏のように真っ黒で立派な羽が伸びていた。そしてその男に合いの手を入れた声は白い犬から発せられる。巨大な犬はみるみる小さくなり、背もたれをなくしては畳に倒れる。痛いと目を瞑った瞬間に、犬は青年に姿を変えていた。
狐に包まれた気分で呆気に取られてしげしげと見れ入ると、もう一人の飄々とした男は軽薄そうな笑みで大丈夫?と尋ねる。その声にどこか聞き覚えがあった。

「あっ…」

記憶が一気に蘇る。そうだ、確信はないがおそらくわたしはこの男に連れ去られたのだ。は急に怖くなって腰をついたまま後ずさる。

「部下が無礼を働いた、許してくれ。どうも妖怪の頃の癖が抜けぬようでな、未だにこうしたやつなのだ」
「ちょっと〜、そりゃひどいぜ大将」

青年の方が実にさわやかな笑顔で、目線を合わせるように屈む。

「紹介が遅れたな。某は真田源次郎幸村と申す。不肖ながら犬神を務めさせていただいている」
「か、神様なの?」
「俺様は鴉天狗の猿飛佐助、よろしくねちゃん」
「からす…」

鴉なのに猿なの?と思わず言ってしまいそうだった口を慌てて塞いだ。何しろこの猿飛という男は自分を攫った張本人であり、その主がこの一見人畜無害そうに見える真田という青年。下手に何か言おうものなら何をされるか分からない。

「まあ、ちゃんを竜の旦那からほいほいっと攫ったのは出来心なんだけどね。石田の旦那が御所望みたいだから?俺様としては自分を褒めてあげたいくらい嬉しいよ」
「い、石田ってまさか」
「貴殿は石田三成殿を知っているのか」

名前を聞くだけで戦慄してしまいそうなほど、恐怖を植えつけたあの男の名前が思わぬところで出てしまった。いや、自分に害を成そうとする相手なのだからそれと関係していてもおかしくない。

「わ、わたしは石田三成のところへは行きたくない!…です」
「どうしたのだ?何を怖がって…」

伸ばされた手が、石田の剣戟と重なって反射的には弾いてしまった。真田幸村は驚きと、悲しみの表情を浮かべる。まるでわたしが悪いみたいじゃないの。ほんの少し胸を痛めたが、次の瞬間手に本当の痛みが走った。

「真田の大将におかしな真似でもしたら、その腕切り取るからね」

佐助は背後からぞわりと寒気のする台詞をにだけ聞こえるように呟く。「おい、佐助!」怒ったような幸村の声に、はいはいとの手をパッと離したが、しばらくその声はねっとりと呪詛のように、頭にこびりついた。


(110718)