真に奇なり


日曜の朝は早い。神主である祖父に日の出とともに叩き起こされるのが常だ。嫌々ながら巫女装束に着替え、箒を持って境内を掃除し始めた。これが我が家の慣習なのだ。七面倒くさいと思いながらも、朝焼けの空を眺めるのは気持ちがいい。
青々としていた葉もそろそろ衣替えの季節だろう。ざっざっ、一箇所に落ち葉をまとめていく。それを無常にも一陣の風が空へと蹴散らした。
目に土ぼこりが入り、こする。じゃり、と誰かが近づいてくる気配がした。涙目で見れば小さな男の子がこちらを睨んでいるではないか。こんな朝早くからどうして迷い込んできたのかしら。

「…どうしたの?ぼく」

しゃがんでその子の目線に合わせてあげる。長い前髪で隠れて分からなかったが右目にはひどい傷跡がかすかに見えた。こちらをじっと見据えてくる金色の目に見覚えがある。まさか、と彼をまじまじと眺めた。

「昨日ぶりだな」

薄々気づいていることを察したのだろう、男の子は苦々しげに呟く。やっぱり昨日の不愉快な竜らしい。えらく違ってかわいらしい姿になってしまったものだ。ふてぶてしさは健在のようだが。

「確かもう現れないって聞いたわよ」
「事情が変わった」
「へえ、どういった心境の変化かしら。それイメチェン?」
「てめえ…犯すぞ」
「いま凄んだって全然怖くない」

チッと竜は舌打ちしてそっぽを向く。ところが去る気配はない。

「おまえの責任なんだ!」
「責任転嫁もいいところよ」
「いーや、身に覚えがないとは言わせねぇ。俺の体に何かしただろう」
「ちょっといかがわしい言い方しないで。だいたい…」

ふと心の片隅で何か引っかかるところがあった。昨日の出来事を瞬時に振り返ってみる。竜は手傷を負って地上に落ち、それをわたしが介抱してやっただけのこと。だけど何か…む、手傷を負って?
そこではたと思い出した。そういえば彼の竜に触れようとしたとき、何か静電気のようなものを感じた。ただそれが彼の姿になることと一致しない。目覚めたときだってあのように青年だったじゃないか。

「おまえは無意識にやったんだろうが、見ろ、この封を」

突然来ていた黒い着物の襟を肌蹴させる(心底子供のままでよかったとは思った)。そこには奇妙な紋様が刻まれていた。確かにこの辺りを怪我していた気がする。

「封?」
「そうだ。俺の傷は治癒されるがその代わり能力を一部封印される。善意から来たものにしろ…見ての通り。昼間は俺の神気が傷に集中し、元の姿を保てない」
「裏を返せば夜は戻るんでしょ?別に傷が癒えるまでの辛抱じゃない」
「だがこの封があるせいで俺は一族の元に帰れねぇんだよ!!天幕が封を拒む。身動きが取れない」
「…で?」
「俺をここに置け」

腕を組み、踏ん反り返る仕草で、それが人にものを頼む姿勢かとはあきれ果ててしまった。ここに置けとは簡単に言う。第一に親へこの童子を何者と説明すればよいか。いくら神事に関わっているとはいえ、いまどきそのような空想に付き合うほどのお人よしはいない。なにしろはこの男と上手くやっていく自信がない。なにより不快だ。よって論外という結論に達した。

「嫌です」
「…おまえ、つくづくおかしな女だ」
「だったらあなたの思うまともな女のところへ行けばいいじゃない。何もそのおかしな女のところへ住もうとするあなたの思考回路こそ理解できないわ」

それじゃあ、掃除がありますので。と彼に背を向けたところで、ぎゅっと袴の裾が引っ張られた。当然竜が掴んでいるのだろう。しつこいな。かるく睨むように見下ろせば、愛らしく瞳を丸くした竜がこちらを見上げている。こ、こいつ…分かっていてやっているな。なまじ子供の姿だから余計にかわいらしい。母性本能がくすぐられるほどだ。

「神社には神気がある。傷の治癒がより早まる。俺だっておまえみたいなじゃじゃ馬娘と寝食を共にするなんざ、ぞっとするが…仕方ねぇだろ」
「口を開くと本当に残念な竜ね」

前言撤回、忌々しい餓鬼である。のどうあっても拒否しようとする姿勢に、さすがの高慢ちきな竜も慌てたらしい。去ろうとするの前へとうせんぼするように前へ回る。

「置け」
「お願いしますは?」

竜は屈辱に顔を歪めた。分かっていたが相当プライドの高い竜である。

「…お、お願い、します」
「よろしい」

本当はあまりよろしくはないが。彼の誠意はいくらか認めてあげよう。なにしろ既にわたしを射殺さんとするくらいの殺気を竜は持っている。これ以上怒らすと後難が降りかかりかねない。これから待っているであろう彼との共同生活に、は想像して苦労が増えそうだとため息をついた。


神が、仮にも神が一般の女に頭を下げた。そのことがどれほどすごいことかには分からないだろう。密かに彼らの様子を眺めていた謙信公は嘆息した。どうやら竜にはよっぽど早く帰りたい事情があるらしい。

「ふふふ、これはおもしろいことがおきました。あのかたへのいいみやげばなしになりそうですね」

それが聞こえたかのように竜、政宗はハッとして神木を見上げる。しばし睨み合い(もっとも謙信公は笑顔である)が続いたが、諦めたように政宗はの家へ誘われていった。


(100706)