借りてきた竜
「政宗、本当によかったの?二人で来ちゃって」
「小十郎に留守を任せておけば問題ねえ」
政宗の答えはそっけなかった。心ここにあらずといった様子で、どこか上の空だ。
お東の方、それは政宗のお母さんだった。仮にも伊達家棟梁たる大神の政宗が妻を娶ったという流言が広まってしまったのだ。母親の耳にも入らないはずがない。文の内容はごく普通の、お嫁さんとぜひ遊びにいらっしゃい、というお誘いだった。
断る理由もないため、こうして政宗と二人出雲を抜けて、伊達の本家へと向かっているわけだ。正直に言うと、はさらさら政宗と結婚も婚約すらもした覚えが無いので辞退したかったのだが、政宗の様子がおかしいことが心配だった。こうなったら自分の目で確かめるしか方法は無い。
「ねえ、いつ着くの…!」
竜化した政宗の背後ごしに尋ねた言葉は突然急降下したために、飲み込まれる。ジェットコースターのような浮遊感に慌てて無遠慮には角を引っつかんだ。
ちゃぷん
これだけ勢いがあったというのに、静かな水音だった。それでも急流に流されていくような感覚に取り残されないように、必死で政宗にしがみつく。水が絡みつくように体にまとわりついて、呼吸が泡になって逃げていった。
「ぷはっ!」
ようやく水の幕を抜けて酸素のある空間に出る。緩やかに政宗は降りていった。
きらきらと数多の水滴が光の粒に反射しながら、浮遊している上空はひどく幻想的だ。出雲のように見渡す限りの水面に、ほっそりと、でも壮麗な佇まいの寝殿造りが政宗の故郷たる伊達本家だろう。
政宗は門口に降り立つと、ようやく人形に戻った。いつもの着流しスタイルはさすがに止めて、改まった紋付袴である。それでも真っ黒に染まった衣は充分一目を引くだろう。伊達家家紋と思わしき竹に雀の文様は、金色で引き締まって見える。
「只今戻りました、母上」
どこか緊張した声で政宗は呼ばう。普通ならばなつかしみ、親しみを込めてよいはずなのに。はそっと政宗の隣に寄り添った。
「…待っていましたよ」
辺りが急にキンと引き締まった空気に染められる。穏やかに流れる水の動きを止めてしまうような、そんな雰囲気に苦しくて息が詰まった。
政宗はぎゅうとの肩を抱いて、まっすぐに母と呼んだその人を見つめた。
現れたのはびっくりするほど政宗に似た、美しい女性だった。いや、政宗が彼女に似ているのだ。こんな大きな子供がいるとは思えないほどに、浮世離れしている。それでいて確かに母親としての威厳と、凛々しさが備わっていた。打掛をそっと持つ、ごく自然な動作すら目を引いてしまうような、内から秘める高貴さが彼女には天性に備わっている。
「俺の妻です」
どうだと言わんばかりに政宗が言い放った。お東の方、義姫はとくとを見た。後ろに控える女中と思わしき眷属の神々も値踏みするようにじろじろと見る。どうにも居心地が悪い。
「なんでもこれが世話になった恩師の末裔とか。もったいないくらいよい娘さんですこと」
これ、とは。いかに身内に対する謙遜の形であれ、親子の絆が希薄であることを伺わせる。褒められているはずなのに、身が切れそうなほど萎縮してしまう。
「出雲からわざわざ足を運んでもらってお疲れでしょう。今宵は我が家と思い、ゆるりとお休みなさい。素敵なご馳走も用意しておりますことよ」
「あ、ありがとうございます」
そうして奥に招きいれられる。部屋に案内されるまで、始終無言ながらも政宗とが離れることはなかった。
(120310)