家たる呪詛
女中によって運ばれた膳は見事なものだった。質素に見えながらも、口に含めば何とも美味しさが隅々まで広がっていくよう。
だが、の反応に対して政宗はじっと膳をひとつめで睨んでいた。さきほどから箸ひとつつけていない。
「心配せずとも毒などありはしませんよ、ねえ?」
「え、は、はい」
からからと義姫は笑う。笑っているはずなのに、政宗と同じ金色の瞳は冷たい。
政宗はようやく一息ついて箸を伸ばした。
(あ……)
義姫の物言いにどこか引っかかりを覚えていたは唐突に思い出した。どこかそう遠くないが、近くもなくその言葉を確かに聴いていたのだ。
『俺はな、毒を盛られて斬りつけられたはずなんだが』
他ならぬ政宗から。
政宗と出会ったあの日、彼は怪我を負っていた。そうして落ちてきたのだと、それが、それがまさか目の前に座る母親によってだとしたならば。
背筋がうすら寒くなる。
『政宗は伊達家の嫡子にも関わらずずっと一族の中で異端視されていた。幼少の頃に片目を失ってからは特に拍車がかかって、お家騒動が起きたくらいだ』
前に慶次がそう零してやいなかったか。
胸がじくじくと痛んだ。いま、いったい政宗はどんな気持ちで母親と対峙しているのだろうかと考えるまでもなく、分かりきったことだった。針の筵に座り、ちくちくと心に小さな穴を開けられて、どんどん広がって。
(わたし馬鹿だ、なにも、なにも知らなかった)
いや、きっと政宗について知らないことなどたくさんある。けれど今まで、それを知ろうと努力してこなかった。
政宗の甘えも好意もただ恥ずかしいと目を逸らして、彼と向き合ったことなどただひとつもない。それだというのに、政宗はいつだって助けてくれた。何も知らないわたしを知らないままでいさせてくれた。
(……泣くな)
悔しいくらいに無力の自分に気づかされて、つい涙腺が緩みかける。泣きたいのは政宗のほうだというのに。彼は今までこの過酷で劣悪な環境に身を置いていたのだ。
誰の代わりにとは言わないが、雨がぽつぽつと振り落ちてきた。それもすぐに勢いが激しくなり、襖の外からはざあざあととめどない雨音がしてくる。
「して、近頃伊達家が太陽の御神に逆らおうているという噂を耳にした」
保たれていた琴線をそっと義姫が触れた。静寂が打ち切られる。
政宗は黙って母の言葉を待った。
「よもや逆らうはずもなかろうな?もし、隣にいるそれの為に愚考を犯すならば母は悲しいぞ」
それ、とはもちろんのことだ。気持ち悪いくらい世辞を述べていたのが一転して、語調は鋭い。暗に人間を庇うな、という牽制が彼女の本音なのだ。嫁の顔を見たいなどただの口実であり、政宗の真意を確かめるのが目的であろう。
「伊達家当主たるそなたが神に身を捧ぐ巫女を側女とするならば母は何も目くじらを立てはしない。だが、間違っても序列を履き違えてはならぬ。伊達家は大神の血筋として常に人の上にあるこそ正しき姿。分かっているな」
それは間違いなく当主の母たるに相応しい物言いであり、確かに政宗と血は繋がっているのだと思わせた。凛々しく己の信念を頑として曲げない気風が政宗と重なる。
しばしまた沈黙が訪れたが、政宗はまたひとつ息をついて、……笑った。
「クッ、何のために呼ばれたのかと思えば、下らない」
「……なに?」
「伊達家を土竜に貶め、あまつさえ俺の妻をひいては人を愚弄する言動が、間違っているのがお分かりにならないのか」
「血迷ったか、政宗!」
「アンタはなにひとつ変わっちゃいねえ。伊達家の為と言いながらその実、全てが己の身のかわいさであり、ただの保身だ。叔父上殿と何ら変わりない」
「黙らっしゃい、兄上を軽んじること息子といえど許しはせぬ!!」
お互い斬り合わんばかりに構え、激しい憎悪を瞳に写す。
これが親子なのだろうか。は衝撃を受けていた。あまりにも違う家庭環境を目の当たりにして、見てはならないものを見てしまったような。けれど他人事でいてはならない。
「あの…お、落ち着いて話しませんか」
「これは伊達家の問題であり、人の口出しすることではないわ」
「は俺の妻であり、もはや伊達家に連なっている!」
「ふ、そのように人の小娘を庇いおって。よう変わったのう、実の弟にはどうじゃった、ええ?」
「……」
「腹を痛めて生んだ我が子同士が、片やのうのうと当主に居座り、片や草葉の陰で泣いておる。痛い痛いと、泣いておる。母には聞こえる。どうじゃ小娘、おそろしかろう?神のする事は。もっともそなたは一つ目だからこそ痛みが見えぬ神なのだろうが」
思わず横に立つ政宗の顔をじっと凝視してしまった。何か思い出すように歪められた隻眼が事実であることを語っている。政宗は、実の弟をその手にかけたということを。
(お家騒動ってまさか……)
考えていたよりもずっと禍根は深く、奥底にある。
(120310)
政宗の叔父で、義姫の兄上はもちろん羽州の狐です
よかった…やっと最初の伏線が生きた…