鞘に収まる
果たして厨房に政宗は立っていた。到底無縁そうなエプロンと包丁を手に持って。コトコトとコンロにくべられた鍋が優しい音を奏でる。随分と静かだと思っていたが、そういえばまだ早朝である。出雲の神様は揃いも揃って惰眠を貪る性質だから、未だに寝静まっているのだ。
は政宗の背中を前にして、急に足がすくんだ。
『わたし言ったよね。政宗は来ないで、って』
『だけど、俺はおまえ一人が心配で』
『それが迷惑だって言ってるの!!……ッ!!!』
昨日の会話が頭を過ぎる。今更ながらに随分ひどいことを政宗に言ってしまったと後悔が襲った。政宗に愛想をつかされてしまっていたら、どうしよう?勿論自分が招いてしまった結果だ。それも致し方ない。が、なによりも怖いことだ。政宗に嫌われる、それがこんなに恐ろしいこととは思ってもみなかった。
それでもの意識は既にここへ「帰る」と思った時点で、政宗こそがの居場所である。政宗の率直な思いを直視できずに、逸らしてきた対価を払わねばなるまい。
「…?」
気づくと政宗は唖然とした様子でこちらを振り返っていた。こんなときでも、は長いこと考え込んでいたらしい。生来の性質を苦笑しながらも、「ただいま」と政宗に投げかけた。
「あ、ああ、お帰り」
戸惑いながらも政宗は返してくれる。それだけでは嬉しかった。冷たく突き放されたら、と思っていたのも杞憂で終わったらしい。
それでも昨日のの言葉が政宗を傷つけたことは事実であった。現に、二人は次にどう言葉をかけようかと互いに話すタイミングを伺っている。いつもなら自信たっぷりの政宗と、つんけんどんと返す、という図はまったく見られない。
「あの、政宗。昨日は…本当にごめんね」
「いや。俺の方こそ悪かった。あれほど来るなって言われたのにな」
「ううん…… あの時はどうしようもなく、弱い自分自身に苛々して… せっかく政宗が心配してきてくれたのに、それすら悪い方向に受け止めてしまって」
言い訳のように聞こえるかもしれない、いや紛れもなく言い訳であった。それでもなんとかして政宗に自分の気持ちを伝えたいとは続ける。
「それも全て自分の覚悟のなさから来る弱さだった。政宗を信じ切れなくて、迷ってばかりで。でも、改めて政宗のしてくれたことを思うと、ようやく気づけたの」
そっと、政宗にもらった小刀を取り出す。
「あのね。こんなわたしでよかったら…二世を共にしていただけませんか」
今度こそ政宗は電撃を食らったように、それはもう面白いくらい驚いた表情を見せた。からん、と右手に持っていたお玉は床に落ちる。それも一向に気にせず、ずかずかとの前へ歩いてきた。
「いいんだな?それは、俺のことを好きだと受け取っていいんだな?」
念を押すように政宗は確認する。
「うん、政宗のこと好き」
「……! おまえ…急にかわいすぎだ、この…ッ!」
我慢しきれないというように、政宗はを乱暴に抱き寄せた。どくどくと早鐘のように鳴る政宗の鼓動が聞こえる。久しぶりに触れた政宗の体温はあったかくて、どこか落ち着く。
「ああ、くそっ。豊臣のことがなけりゃあ、いますぐ式を挙げてやりてぇくらいなのにな」
「じゃあ、終わったらやろうか?」
「……なんだか素直すぎるアンタっていうのも調子が狂うぜ」
「政宗は、ようやく政宗らしくなった」
おでこをすりつけあわせて、くすくすは笑う。たまにはこうしてからかう側に立つのも悪くはない。きっとすぐに政宗はいつもの態度を取り戻すだろうから、束の間の攻勢だ。
いつまでもこうしていたい。ただそれだけを願い、そのために戦う。
―――二人の新しい朝が来た。
(121208)