線引きの難しきこと


政宗は龍神としての機能を失っていない部分もあった。一部封印されている、とはこういう言い回しだったのかと改めて理解する。いま、彼はパリパリと電気を纏っていた。恐怖による自己防衛のようなものだろう。さてあの自尊心の塊である竜がなにに怯えているのか?それは案外に身近にある意外なものだった。

「ほーらほら」
「…っ、だからそれをこっちに向けるんじゃねぇよ!!」

ゴオオオ、音を立ててあらゆるものを吸い取る主婦の味方、掃除機だ。先端を政宗に向けると怒りと恐怖で目を吊り上げていた。まるで威嚇するときの猫そのもの。こういう子供らしいところは大いに好感がもてる。
ところが、だ。政宗がとうとう堪え切れなくなり、放電された。咄嗟の判断からわたしは掃除機をもっていた手を離す。

「あ、あーあ…」

残ったのは焦げた掃除機の残骸だった。ざまあみろ、と政宗はそれを踏んづける。やりすぎたわたしも悪いが、ここまでやる政宗も政宗だ。こいつの辞書に加減という言葉はないらしい。危うくわたしまで黒こげにされるところだった!さすがに命まで脅かされたとあってわたしもむかっとする。
今は昼間だから政宗は小さい。彼の首根っこを掴んで持ち上げた。おお、人間よりも軽い。

「てっめー!」
「はいはい。謝りに行きましょうね〜」
「ふ、ふざけるな。おい、離せ!」

じたばた暴れるのも構わずにわたしは母のところへ行く。母は居間で洗濯物をたたんでいた。事情を説明すると、相変わらずおっとりと困ったわね、と呟く。母は滅多なことで怒りはしない。わたしとしてはこのきかん坊をとっちめてもらいたかったのだが。

「じゃあ買って来てくれる?」

その一言で出かけることが確定した。

「なんで俺が行かなきゃならねぇ。下界の空気は気に障る」
「あんたが壊したからでしょう。それくらい我慢しなさい。すぐだし」

帽子をきっちり被った政宗の小さな手を取る。出かけることの何が嫌だって、この長い階段だ。我が家、即ち神社はやや小高いところに位置している。通学だけで嫌なのに、また今日この階段を帰るときに上らねばならぬことがいっそう気を重くした。

「早く歩け!」

たったったっ、軽やかに降りていく政宗に引っ張られる。若さって羨ましい。降りるのも結構体力使うんだからな。じろっと睨むが効果はまったくない。

「行きたくないって言ってた割には元気ね」
「まあこれも一族の長として、下界探索はきっちりしておかねぇとな」
「…下界…探索、ね」

思えば掃除機すら政宗は知らなかった。神々はどこかで時が止まっているらしい。いったいどんな生活をしているのか少し興味がある。以前天幕、と言っていたから人間界と神々の世界の境界線は天に違いない。ならばこの空の上に政宗は住んでいたのか。それならば下界と言うのも納得できる。
素晴らしい天気だった。秋に変わり行く空はまだ夏らしさを残していて、夕日がそろそろ迫ってくる時刻だろう。階段を降りるとき、唯一のよさはこの景色のよさだ。わたしもまるで天に立っている気分になる。そうしてこの町を見下ろすのは実に気分がいい。
政宗はこうして気まぐれに下界を眺め、時には癇癪を起こして興味みたいに雨を降らし、雷を落とすのかもしれない。

別段最新型の掃除機が欲しいわけでもないので適当にお手頃な値段のものを選んだ。ありがとうございました、店員さんが律儀に頭を下げる。重い掃除機を持つ気持ちなどさらさらない政宗は自動ドアの外を元気よく出て行った。どうやら自動的に自分の為に開くこのドアを気に入ったらしい。自分の為、と思える解釈が政宗のすごいところだ。
細長い箱を両手で抱えて彼の後を追う。そのまま車道に出て跳ねられたりでもしたら困る。そういう場合神も死ぬのかな。やはり傷つきもしてるし、なにより彼の古傷は完治しないほどのもの。一族、という言い方からして神は世襲制なのかも。
なにやら人間くさくて面白かった。だいたい寿命があるあたり、まさにそれらしい。だいたい実は最初に、神というよりはまた妖怪の類かと思ったもの。神も妖怪も、人間に害を与える点では似ている。神に妖気がなくて、妖怪に神気がないだけかもしれない。

「…い、おいっ」
「は?」

声が唐突に耳へ入り、ハッとして顔を上げる。いけない。また呆けていたらしい。目の前にはいかにも不良と分かる若いにいちゃんが数人、取り囲むようにしていた。ああ、どうやらわたしが無視をしていたと思われているようだ。とりあえず相手が険悪な雰囲気なのは分かる。

「そこの餓鬼がぶつかってきたんだが、嬢ちゃんの連れか」
「え、あ、はい…まあ」

車にぶつかるより先に人へぶつかったか。寄りにも寄ってこのような人たちでなくてもいいのに。むすっと仏頂面の政宗は大きな瞳で彼らを睨んでいる。睨みたいのはこっちだ。

「子供の責任は保護者が持つもんだよなぁ?」
「…ええっと」

慣れ慣れしく肩に手をかけられて、これはさすがにまずい状況だと思った。重い箱を抱えているせいで逃げようにも逃げられない。

「俺の責任は俺の責任だぞ」

空気を読まずに当然だというように政宗は言い返す。それをうっとうしいと感じたらしい別の男が、政宗を掴んで輪の外へつまみ出す。まるで相手にされてない。子供の姿なので仕方ないといえよう。
それよりも自身の貞操の危機が迫っている。周りの人達も視線をちらちらとこちらにはやるが、気圧されて注意が出来ないようだ。頼むからせめて警察に電話をしてくれ。

「さて、ちょっと俺たちと話そうか」

男の体が密着して道端に駐車しているバイクを指差す。うわああ、連行ですか。これでは逃げ場がない。
どうしよう、ぐるぐる嫌な結末ばかりが頭の中を駆け巡る。そんな時だった。

「Ha、そんな軟派の仕方じゃ戦国時代と変わらないぜ?」

ニヒルな笑みを浮かべた男は、先ほどの小さな子供とは思えない。声変わりまで忠実に再現されている点も驚くべきところだ。
お兄さんたちは突然沸いて出た男に戸惑いを隠せない。が、いかにも偉そうで鼻につく喋り方に、イラッとしたのだろう。すぐに臨戦態勢を見せる。

「なに?お宅この子の彼氏?」
「うわ〜、かわいそうに」

分かってくれますかお兄さん。本当にわたしこの男の子守を押し付けられてかわいそうなんですよ。なんて、間違っても政宗には言えない。一応助けてもらっている身分だ。

「いいからかかってきな」

くいくい、ご丁寧に手で挑発して男たちは分かったと言わんばかりに拳を繰り出した。それをすべて避けきって、政宗はたった一発相手に食らわせるだけで伸してしまう。電流でも拳に込めているんじゃないか。もしそうだとしたら政宗の拳はスタンガンと同じ働きを持つ。

「口ほどにもねぇな」
「わー、ありがと」
「もう少し心を込めて礼を言えよ」
「あのね…誰のせいでこうなったと思っているの。もう少し行動を謹んでよね」
「おまえ、誰にものを言っているか分かってるのか」
「俺様何様政宗様です!」

すると政宗はふっと笑って、おもむろにわたしの頬へ手を近づけた。バチッ、小さな静電気が頬に走る。

「…ー〜っ!!」
「俺に逆らうからだ、ばーか」

政宗の笑顔があまりにも清々しいから余計に腹が立った。夜に差し掛かった空の下、政宗は掃除機を手にわたしの手を引いて、わたしたちは不本意ながら仲良く帰った。


(100709)