あれもこれもそれも
子供の力ってすごい。手加減などちっとも知らない小さな手は、力いっぱいわたしの手を掴んで走る走る。言うことを聞かない犬の散歩をしている気分だ。
「くたびれている暇はないぜ?」
「…そ、そんなに急がなくても、逃げないよ」
既に息は上がっている。日ごろどれだけ運動していないか身に染みて分かった。はあはあ、と呼吸を落ち着かせて大きな建物を仰ぐ。今日は下界探索という名の、デパート物色だ。政宗はこの日を心待ちにしていたらしく、それはもう生き生きとしている。さっそく政宗のために開く自動ドアを潜りエスカレーターに乗って上の階へ。
まず訪れたのが本屋だった。祖父や母が家にいるとはいえ、基本的に彼は一人遊びだ。それにも限界が近づいているらしく、暇つぶしに本を読みたいらしい。
「どれがよろしいので」
「そうだな、これなんかどうだ」
今流行の恋愛小説には見向きもしないで政宗が取った本は、新潮新書だった。普通の人なら軽く素通りしてしまうコーナーである。いろんな観点から論じている、現代国語の時間に問題として出てきそうなそれだ。子供の容姿らしからぬチョイスに苦笑してしまった。
「二冊までね」
「けちけちすんなよ」
「こっちは自腹切ってることを忘れないでちょうだい」
小さな額にでこぴんしてやると、恨めしそうに政宗が睨む。子供に上目遣いで睨まれたってかわいいだけだ。政宗は慎重に吟味して二冊選ぶ。いざレジへというところで、通った児童文庫に政宗の目が留まった。それは確かに政宗くらいの年頃なら興味が引かれるであろう新幹線特集の絵本。
「こ、これは乗り物なのか!」
「そうだよ」
「人力車より早いのか?」
「そりゃあ早い早い。時速300kmとかあったかな」
「時速?時速とは何だ」
う、また始まってしまった。わずかな記憶を頼りに出来るだけ分かりやすく説明してやると、得心がいったという顔でしげしげと新幹線を眺める。まさか人力車と比べるとは思わなかったが。どのくらい前からこいつの時間は止まってるのだろう。
ふと政宗はその絵本についているボタンに気がついた。何気なく押してみた政宗は、新幹線のブザー音に驚いて勢いよく絵本を閉じる。焦ってる政宗を見て思わず笑ってしまった。
「笑うんじゃねぇ」
「む、無理です…ぷくく」
「Shit!」
面白くなさそうに政宗はわたしに本を渡して、一人ですたこら先に行ってしまった。次の目的地は分かっているのでさして心配せずに見送る。どうせ、小さい子供が目当てにしている場所といえばおもちゃ屋しかないのだから。
案の定、政宗はメインコーナーにあったプラモデルを食い入るような目で見ていた。男の子なら誰でも通りそうな定番のコースを確実に歩んでいる。どこがいいのかねえ、と思いながら隣に立った。
「、これを買え」
偉そうにまた命令形で何を言い出すと思えば。二冊本を買ってあげた恩を忘れたか。一応政宗が言ったプラモデルを手にとって見た。値段は六千円…うーん、これは高い。恐竜を模したロボットらしい。最近帰ると見ていたあのアニメに違いない。
「却下です」
「why!?」
「さっき買ってあげたんだから、あれで満足なさい。これはちょっと高い」
「嫌だ、買え」
「あのね…」
ダメだって言ってるでしょ。その言葉は飲み込まれた。箱を抱える政宗の目がわずかに潤んでいたからだ。これは…泣きそうな兆候。じろじろとまわりの「あれくらい買ってあげればいいのに」という突き刺さるような目線が痛い。これでは完璧にわたしは悪役だ。
「ああ、もう!仕方ないな!!」
政宗から箱を奪って、レジへ歩く。後ろから「Thanks!!」と嬉しそうな政宗の声がした。絶対確信犯に違いないけど、子供の涙には負けてしまう。いつかこの貸しは返してもらうんだからね、覚えておきなさいよ。
(100712)