もっと遠くへ飛びたい
どの試合へ出ても、大会へ出てもこれといって緊張をしたことはなかった。誰よりも俺は速く泳げる自信があるからか、無関心だからかは分からない。自分でもどうしていま水泳をしているのか分からない時があった。
水泳っていうのは個人種目であり、リレーこそみんなで頑張る楽しさがあるが、基本は自分とタイムとの戦いだ。実力がものを言い、普段一緒にいるやつらとも競わなければならない。
小さいころは水泳ってものが大嫌いだった。利にスイミングスクールへ通わされて、まつ姉ちゃんに無理矢理連れてこられて。いつか止めてやる、中学は団体種目の部活に入ろう、そう決めていた。だけど心とはうらはらにタイムは上がり、いつのまにずるずると高校まで水泳を続けていた。
俺は何のために泳いでいるんだ?
じっとプールの底を見つめながら名前を呼ばれるのを待つ。隣に座っている秀吉の名前が呼ばれて俺は初めて少し震えているのが分かった。武者震い、ってやつなのだろうか。あいつと泳ぐのは小学生以来のことだ。
ゴーグルをきつく付けて、笛の音と共に飛び込み台へ立つ。正面の自分のコースにみんながいるのが分かった。
「用意」
ピストルの音が鳴って、勢いよく飛び込む。わずかに遅れた気はしたが、ドルフィンキックで前へ躍り出た。腕を挙げて飛沫が立つほど足を動かす。25メートルのところでターンをするとき、秀吉がそれよりも速くいることにぎょっとする。
小学生のときはあいつに負けたことが無かった。あいつは根がまじめだからいつも悔しそうにして、練習をがんばっているのも知っていた。
それでも友達として俺たちはいつまでも仲が良かったのに、小六のときスイミングスクールのテストで俺は手を抜き彼を勝たせてやったことがあった。親切心のつもりだったがそのあと秀吉に思いっきり横っ面を殴られた。それ以来仲はギスギスして話していない。
もやもやとする心を打ち消す様に俺は泳ぎに集中した。少しずつ秀吉に離されていく。そんな、まさか、と思いながら最後の力を振り絞った。
「……はっ…」
壁に手をつき、泳ぎを終えた。どうも胸が苦しい。それだけ俺は全速力で泳いだ。それなのに秀吉には勝てなかった。
「お前、速くなったな!」
隣にいる秀吉に声をかけると、じいと鋭い目で見られる。いくらか軽蔑したような視線が混じっているのを察した。そのまま何も言わずに秀吉はプールから上がってしまう。
「これが君と秀吉の実力の差だよ。少しは悔しいって気持ちは君にないのかい?」
そっとすれ違いざまに半兵衛は呟いて、彼も秀吉の後を追って更衣室へ入っていく。なんだっていうんだ…?何が言いたいんだ?
もやもやとした気持ちが再び俺の心を沈めた。みんなのところへ戻ると、が真っ先の俺を見つけてくれる。
「お疲れ様!もう少しで一位だったのに惜しかったね」
にっこりと屈託のない心で声をかける言葉に息を詰める。もう少しで一位だったのに、みんなは一生懸命俺を応援してくれたのに。
「ごめんな」
「なんで慶次が謝るのよ、まだ次があるじゃない」
「……ああ」
なんで俺は水泳を続けているんだ?ひとりでやっているんじゃない、俺はみんなと泳いでいることを忘れていた。そして俺は悔しいんだ。だから続けていきたい…もう一度、秀吉に負けないくらいに。
何のために俺は水泳を続けるのか?答えはこんなに単純だった、好きだからに決まっている。俺は水泳が好きなんだ。
(090913)