思いを乗せて
平泳ぎにはひと波乱が起きた。去年は決勝で一位をもぎ取った毛利元就が一番最初に名前があったのだ。速い人ほど最後の組だというのに、これにはどうしたことかと彼を知る人物は驚いた。
当然もあの後ずっと気になっていたので見に行く。遠目から彼の姿はよく見えないが、その泳ぎは綺麗ではあるもののはっきり言えばいつもの彼の泳ぎと比べて遅い。
「おや…君じゃないか。奇遇だね、毛利くんの応援かい?」
「竹中くん」
日差しで倒れてしまいそうなほど色白な竹中くんは、そういえば泳者ではなかった。前田によるとアレルギーの都合上塩素を受け付けないらしい。
わたしは思い切って毛利くんはどうしたのかと尋ねると彼は少しだけためらって事情を教えてくれた。
「どうやら彼は不慮の事故に見舞われたようでね、無理を押して今回の大会も出たようだ。特に腕の傷が酷かったらしく、見てごらん…少しだけ泳ぎがぎこちない。プライドの高い毛利君のことだからてっきり棄権すると踏んでいたが、さすがは毛利君だ。君も言われなければどこを怪我したかもわからないだろう?」
ずっと感じていた違和感の謎がそれで解けた。真夏には不自然の冬服は怪我を隠すためだったのだ。何よりも彼はそのハンデを相手に知られたくなかったらしい。少し寂しい気もしたけれど、彼らしいとも感じた。
堂々とその組では一着を取り、毛利くんは不機嫌そうに応援していた瀬戸内高校の輪の中に入っていった。お疲れさまでしたと叫ぶまわりのみなさんに「やかましい、我の泳ぎをその声援で邪魔するでない!」と憎まれ口を叩いていてが、少し焦っている様子は失礼だけどなんだかかわいらしかった。どこまでも不器用な人間である。
柄にもなく自分でも緊張で顔が強張っているのに佐助は驚いた。ぺしぺしと気合を入れるように顔を叩いた。
ふと招集場所に見知った人物がいるのに気がついた。幼馴染と言うべきか、腐れ縁というべきか、風魔小太郎だった。こいつにはいつだって勝てなかった。あーあ今回俺様ついていなさすぎでしょーよ、とため息をつく。
「……」
佐助の視線に気づいたのか風魔はわずかに彼をみやって不敵に微笑んだ。それに佐助はかちんときて話しかけようとしたが、風魔はすぐに顔を逸らした。ますます佐助の作り笑顔は凍った。
安い挑発だと言い聞かせるも、苛々する気持ちを抑えられない。絶対勝って見返してみせると意気込み、飛び込み台へ立つ。風魔は隣だった。むしろはっきりと勝ち負けが分かるから好都合でいいと佐助は考える。
スクールのテストはいつもやつが一番、バタフライを泳げるようになったのもあいつが先だった。でも俺は自分の泳ぎが誰よりも綺麗だと自負していた。基本に沿うようでいて、独自の癖を持たせて、綺麗に人を魅せた。
でもそれだけじゃ足りない…この夏で培ってきた体力を得て、タイムは確実に上がっていたのも分かっている。今日の調子だってばっちりだった。ベストタイムが出せる予感がして、大きく飛び込む。
水面をすいすいと進むように傍からは見えるだろうが何よりもこの泳ぎは辛い。他のどの種目よりも燃費が悪い上に、ひとかきひとけりのルールは絶対なのだ。そのルールをついてバタフライが生まれたらしいが今は別の種目となっている。
だが以前は大きく差があった風魔とは五分五分の位置を泳いでいた。佐助はなんとしてもと意気込んでターンをした後、そのままペースを上げていった。25メートルから既にラストスパートをかける。
佐助が勝負に出たと分かったのか風魔も負けじと加速した。両者譲らずに応援は白熱する。誰もが意気込んで最後を見守った。二人の手が同時に壁についたようにも見えた。
「佐助、お疲れ様!」
プールサイドに現われた佐助に声をかけると、にっこり笑って彼は人差し指を立てた。紛れもなく一番を示している。
「えっもう分かったの?」
「掲示なんて待ってられないじゃない。俺様すぐに記録係に聞いたわけよ」
そしたら、と自分と風魔のタイムを言うと確かに彼がわずかな差で勝利を得ていた。おめでとう!と言い、さらに彼の自己ベストが出たことに湧きあがる。
「ふん、猿でも泳げるのだな」
「ちょっかすが〜、それはひどいんじゃねぇの?」
たまたま通りかかったのか定かではないが、近くにいたかすがが珍しく自ら佐助に声をかけた。しかし相変わらず冷たい態度に少しへこむ佐助に、小さな声でぼぞっとかすがは呟く。
「見直したぞ」
「!」
「か、勘違いするな!貴様など謙信様には遠く及ばないのだからな!」
真っ赤な顔でさらに珍しく褒めたかすがの言葉に佐助は呆気をとられた。彼女が去った後にようやく意味を飲み込んだらしい。頑張った甲斐があったと、しみじみ感じ入った。
(090915)
辰巳など整備されているところはすぐにタイムが電光掲示板に映るんですが…、やっぱり準備出来ない高校もあるので後で貼りだされるんですよね。ようやく佐助が報われた!