何人も前を行くことは許さぬ


が頑張るさまに元親はつい違うチームだというのに手を叩いて応援した。泳ぎ終わった後の清々しい顔にどきりとする。もちろんその感情にはとうの昔に気づいていたのだがいかんせん言い出せずにいた。

「この痴れ者が」
「いってぇ〜!…てめえ、毛利!」

思いきりメガホンで後ろから叩かれて恨めしげに毛利を見ると、まったくこちらの睨みに引かずむしろ冷ややかな目で見られた。こいつの実力は認めるがどうも馬が合わないのも事実だった。

「貴様もあの者を見習うのだな」
を?」
「あちらの方がよっぽど精一杯泳いでいるぞ、貴様もたまには本気を出しきってみたらどうだ」

そう言ってもう一度人の頭を叩いて颯爽と野郎供の方へ戻って行った。お前に言われるまでもねぇ、と心の中で毒づいて舌を出す。
すると突然冷たくて小さな手に腕を引っ張られて、髪の毛をわしゃわしゃと撫でられた。

「おわっ!なんだ!?」
「元親くんへのおまじな〜い」

振り向くとプールから上がったばかりのがにっこり笑っていた。どうやらが泳ぐ前に自分がしたことをおまじないと称してやり返されたらしい。

「上等だ、鬼の怖さってもんを婆娑羅に教えてやるからな!」

ニッと元親は笑って招集場所へ駆けていく。同じ組には伊達と真田がいた。元親は一番真ん中のコースを泳ぎ、二人がその両サイドを泳ぐ形だ。伊達と真田はやはり緊張した面持ちで元親をライバル視していたが、当の本人はどこ行く風。わくわくした顔でまったく緊張感が無い。

ピッピッピ〜−…

三回目の長い笛とともに選手たちは飛び込み台へ上がった。元親の紫色の水着がよく目立つ、その隣である真田の赤色もその点では負けていなかったが。
は真田のコースで猿飛と共にメガホンを持って待ち構えていた。前田と片倉先生は伊達の方へまわっている。その真ん中に瀬戸内高校の男たちが大勢居座っていた。

「位置について、用意」

辺りが静寂に包まれて緊張が走る。パンッとひときわ大きい音が鳴ると、一斉に掛け声がかかった。

「セーレイ!」

選手たちは素早く飛び込み、ドルフィンキックをしながら浮上してくる。後から顔を出したのは元親くんだったが彼はトップだった。圧倒的な速さに周りが目を見張る。どんな素人でも特別に彼は速いということが分かるだろう。
は真田の応援をしているというのにどうも身が入らなかった。元親くんのことが気になって仕方がない。かといって敵チームを応援するのは許されないだろう。そう思っていた矢先、猿飛に肩を叩かれた。
けたたましい応援の中でまったく何を言われたか分からなかったが口パクとジェスチャーから、どうやら向こうを応援しに行けばと言われているのが分かった。躊躇しているともう一度肩を押される。

「ありがとう」

聞こえなかっただろうが猿飛に礼を言っては野郎供の中へ少し加わって、精一杯彼らの声に合わせて元親くんを応援した。
水しぶきを上げながら彼は前田に引けを取らない豪快なターンをして、素早く向こう岸へと戻っていく。どこにそんな力がまだ残っているのかというほどさらに加速していった。伊達も真田も決して遅くないのに、元親くんの速さには追いつけなかった。
会場は終わってからもざわざわとしている。期待のまなざしが本部に向けられていた。案の定放送の声が告げる。

「ただいま泳ぎました50M自由形、長曾我部元親くん、瀬戸内は大会新記録を樹立しました!」

わっと会場が湧きあがる。野郎供はアニキ!と盛んに叫び、誰もが彼に注目をしていた。元親くんは少しだけ疲れ切った顔でそれに応え、最後に伊達と真田と握手を交わしプールを上がった。
まるで自分のことのようには喜び、猿飛とハイタッチする。今日は本当に涙腺が緩い。


(090924)

セーレイって水泳部の掛け声だけどまったく語源が分からない。