「嬢さん、アンタ慶ちゃんのコレなのかい?」
ピッと小指を立てたおばさんはいかにも噂好きそうな目をしていた。その合間にも腰はぎゅっぎゅっと雑巾を絞るように帯が巻かれていく。
慶ちゃんとはあの男のことだろう。そういえば名前すら聞いていなかったといまさらながらに気がつく。さすがにこの服ではまずいという彼の提案から、見立ててもらうべく反物屋にお邪魔した。あれよあれよという間に話は進み、わたしは未だに混乱している。
「かわいいだろ〜、上手くやってくれよ」
「え」
「あたしの見立てに間違いはないさ」
「ちょ、わ、わたしと彼はそんな間柄では」
「おやおや照れないでいいんだよ。誰にも言わないからさ」
そういう問題ではないのだけれど!襖越しの慶ちゃんとやらは勝手におばさんと話を進めていくのを尻目に、わたしはそっとため息をついた。こうなればままよ、と腹をくくる。つまらぬ修学旅行の集団行動から開放されたと思えばいいじゃないか。
淡い紫色の下地に綺麗な刺繍が施された着物は勿体無いくらいに美しかった。高価そうなものなにいいのだろうか。この男は案外にどこかのボンボンなのかもしれない。
「さあ、終わったよ」
ポンと背中をおばさんに押される。襖をおそるおそる開けば、目を輝かせた慶ちゃんが手を叩いた。
「俺の目に狂いはないねえ!綺麗だよ、嬢ちゃん」
「あ、りがとうございます。あの、お待たせしてすいません。それにこんないいもの」
「女が男のため着飾るのにそれくらいどうってことないさ」
なんてはっきりと歯の浮くような台詞を言える人だろうか。そこまで清々しいと満更でもない気分である。
「よし、それじゃあ俺が京の町を案内してやるよ!うろうろしてればそのうち友達も見つけてくれるだろ」
「他力本願しや過ぎませんか」
「どうせなら物事は明るく考える方がいいに決まってるさ」
な、夢吉。と慶ちゃんは小猿を撫でた。ぱちくりと瞬きひとつ。なぜだが急に馬鹿馬鹿しく思えてきた。どういい表したらいいのか言葉は思い浮かばないけれど、心が軽くなったような。そうですね、とわたしは思わず笑ってしまう。
「…嬢ちゃん、それだよそれ!」
「はい?」
「アンタさ笑っていたほうが似合うって」
バシバシと力強く背中を叩かれる。痛いのと照れ隠しで睨めば、「ほんとほんと!」と焦ったような声。この男、大概にお調子者だが…憎めないやつ。
(110210)